4年前の2005年。大学からプロに入る前、松家は「これからについて、不安が8割」と口にしている。1年目のシーズンが進むにつれ、その不安は6割にまで減った。プロに入りまず取り組んだことはファームを安定させること。それにより球速も増していった。確かな手応えをつかみつつ、着実に不安は少なくなっていった。その後3年冠はファームでの生活が続いたが、現在、松家はプロ野球選手として、どのような心境にいるのだろうか。
「ここまでプロ野球選手として過ごしてきましたが、不安というものはないです。一日ずつを一生懸命に過ごして、そこで結果がついてくればラッキー、残せなければアンラッキー。僕が今、一番大切にしていることは、100%の力を出せるかどうか。今の自分はそう考えることができていますから、不安に感じることはないですね」

 1軍でのプロ初登板から3週間後、松家は再びファームに戻った。4試合に登板し、6イニングを投げ5失点。防御率7.50の成績だった。1軍からファームに戻った主な理由は、自分のフォームを崩し調子が下がったためだ。3週間の1軍生活を経験したことで、彼が得たものとは何だったのか。

「1軍で様々なものを目にしてきて、湘南に戻ったばかりの時には、相当調子を崩しました。なかなかよくならなかったのですが、その原因は高いレベルを見てしまったからかと思うんです。1軍での出だしはよかったのですが、高いレベルの周りを見てしまったことで、自分でも『あれをしたい、これをしたい』と多くのことに欲が出てしまいました。そうこうしながら、相手バッターをと対峙しますから、勝負に集中できていたかというと、全くできていなかった。1軍に行ったことで、自分自身がブレてしまった。今はそこを見直してやろうしています。これが1軍にいった一番の収穫かな。みんなが高いレベルでやっているわけですから、『自分を変えないことの大切さ』を肌で学んできました」

 背伸びをしたくなるが、地に足をつけて地道に自らの歩むべき道を一歩ずつ進んでいくこと。プロ野球選手として成長するには、これ以外の方法はない。自分にできることを少しでも増やしながら、ピッチングで自らを表現していくこと。調子を崩してこそ松家が学んだことは、まさに基本に立ち返ることだった。

「次はもう、同じことはできない――」。松家は1軍に上がるチャンスを窺いながら、前回の悔しさを胸に秘めている。

 幅のあるピッチングを目指す

 松家が持つ変化球は、主にカーブとフォーク。しかし、本当の生命線はストレートだと本人は口にする。

「変化球をうまく使いながら緩急をつけてピッチングができればいいのですが、今でもなかなかうまくいかない。やはりある程度は真っすぐで勝負できなければ厳しいです。カウントを悪くして次に投げることのできる選択肢が狭まってきてしまうことがあります。1軍でソフトバンクと戦った時にも自分で苦しみ、長谷川(勇也)選手にホームランを打たれてしまった。僕の球では、球種を絞られると打たれてしまうので、バッターが絶えず球種を考える状況を作らなければならない。そうしなければ、上ではやっていけません」と冷静に分析する松家。湘南でピッチングに磨きをかけ、1軍のマウンドで雪辱の機会を待っている。

「プロ野球選手としての不安はないが、自信もない」というのが松家の言だ。しかし、自分の力を100%出すことについては、少しずつ自信がついてきた。「やっとプロ野球選手になれた」と感じたプロ初登板から、次はプロ初勝利を狙う。そのポイントを過ぎたところで、松家にとって初めてプロとしての自信がついてくるのかもしれない。

 焦らず、プロ初勝利を

 1軍のマウンドを離れてから間もなく2カ月が経つ。松家は今日も横須賀のシーレックス練習場で汗を流している。多くの若手が力をつけるこの場所で、プロ5年目の夏を過ごした松家は焦りを感じることはない。自らの力を全て出し切るピッチングをすること。彼が今、目標に置いているピッチングだ。「早く1軍で投げたい。巨人戦に登板してテレビに映りたい」。1年目の自分は気持ちばかりが先に出て、目の前のことが見えなくなっていた。そして、ファームでの生活を続けることで、好きな野球をプロ選手として取り組める喜びを実感した。今年で27歳になった松家を長い目で育ててくれた球団にも恩義を感じている。

 昨シーズン末には自由契約を覚悟しながら、今年に入りプロ初登板。全く違った未来が待っていた。松家にとって、今年は考えられなかったシーズンであり、ベイスターズのマウンドに立てたのは、いい意味での開き直りだった。5年目のシーズンは追い込まれたシーズンになるはずだった。しかし、追い込まれたことで、逆に焦りや不安はなくなった。今の松家が見えているのは、キャッチャーの構えるミットだけかもしれない。そこへ、自身が信じることのできるストレートを投げ込む時がくれば、再び横浜スタジアムのマウンドへ立つ日がやってくる。

 もう“東大卒ピッチャー”の肩書きはいらない。新聞の大見出しに再び松家の名前が掲載される時には、すぐ横に“初勝利”の文字が躍っていることだろう。

(おわり)
>>第1回はこちら
>>第2回はこちら
>>第3回はこちら
>>第4回はこちら


<松家卓弘(まつか・たかひろ)プロフィール>
 1982年7月29日、香川県香川市出身。高松高校時代、2年秋の四国大会でベスト4.東京大学に進学し、2年春に初登板、4年春に初勝利を上げた。大学通算25試合に登板し3勝17敗。04年ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。1年目に1軍に昇格するものの、2年目以降は2軍での生活が続く。5年目の09年6月7日に1軍に登録され、6月10日対北海道日本ハム戦でプロ初登板を果たす。身長184センチ、85キロ。右投げ右打ち。背番号32。






(大山暁生)
◎バックナンバーはこちらから