2009年10月、ロシア・サンクトペテルブルクでテコンドーの世界選手権が開催された。そこで堂々の銀メダル(女子型三段の部)に輝いたのが木村志穂である。4年前の05年、木村は世界選手権で初めて表彰台(銅メダル)に上がった。世界一の座がいよいよ見えてきたと思ったのも束の間、ヒザの靭帯を断裂。2度の手術を乗り越え、今年再び世界の舞台へと戻ってきた木村。今度こそ世界の頂点を極めようと、仕事と両立させながら、練習の日々を送っている。
 幼少の頃から運動神経抜群だった木村は、スポーツが大好き。特に足が速く、小学6年生の時には約1000人もいるマンモス校で男女合わせて1、2位を争うほどだったという。あどけない顔立ちとは裏腹に活発で、とにかく「男の子に負けたくない」と人一倍負けん気が強かった。
「走るのは得意で、小学校時代はクラスの男の子に負けたことがなかったですね。だから運動会も大好きでした。というより、運動会くらいしか発揮する場がなかったんです(笑)」

 とはいえ、こんな意外な面もあった。小学校時代、お昼休みには男の子に交じって運動場で走り回っていた木村だったが、その前に必ず行くところがあった。それは図書館だ。実は木村は大の本好き。家に帰ると借りてきた本を夢中になって読みふけり、読み終わるとまたお昼休みに図書館に行った。1年間で100冊近く読んだこともある。文章を書くことも大好きで、夏休みの日記などははりきって書いていたという。

 そんな木村がテコンドーと出合ったのは小学5年生の時。4つ下の弟が通い始めた道場に見学に行ったことがきっかけだった。「同じ年齢くらいの女の子もいるし、なんか楽しそうだな」。それが木村のテコンドーへの最初の印象だった。聞けば、木村はそれまで格闘技は好きではなかったという。「痛い」「怖い」という印象しかなく、アクション映画さえも見なかった。しかし、なぜかテコンドーに対しては痛さや怖さを感じなかった。
「実際始めてみて、全てがおもしろいと感じました。それまでやったことのない動きばかりだったので、それが徐々にできるようになっていくことが楽しくて仕方なかったんです」。やればやるほど、木村はテコンドーにどんどん魅かれていった。

 木村が道場に初めて来たときのことを恩師の松友省三師範ははっきりと覚えていた。
「今は背が小さい方で髪の毛もショートにしていますが、小学生の木村はどちらかというとスラッとしていてロングヘアのよく似合う女の子でした。大人しそうだな、というのが第一印象でした。
 1回目は弟さんの見学で来ていたんですけど、2回目からは自分も体操服を着て一緒にやり始めましたね。最初は恐る恐る周りを見ながらやっていましたよ。でも、しばらく経って、『こりゃ、普通の女の子のレベルではないな』というのがわかりました。回し蹴り一つとっても他の女の子とはパワーもスピードもまるで違っていた。だから女の子とは組ませられなかったですよ」

 道場にはいつも弟と一緒に通った。器用でそれほど練習しなくても、何でもすぐにできてしまう弟に比べ、木村は一つのことにじっくりと取り組む努力家タイプだった。性格も正反対。繊細な弟は口数が少なく、もめごとを嫌ったが、木村は負けん気が強く、正義感にあふれていた。母親の久美は2人をこう分析する。
「何でも器用にできてしまう弟は、ノラリクラリとかわしていくんです。だからあまり努力しなかった……というより、努力しなくてもできてしまうんです。でも、志穂は弟に比べれば不器用。だからこそ努力を惜しまないんですよ。真っすぐな子で、曲がったことが大嫌い。学校も一度も休んだことはありませんでした。親としては育てやすい子でしたよ。なんたって、すぐに顔に表れますからね。だから表情を見ているだけで、すぐに何が起きたかわかるんです。しかも必ず、話をしてくれましたしね」

 中学校では足の速さを生かして、陸上部に所属した。放課後は部活とテコンドー道場に通う毎日。まだまだ男の子にも負けていなかった。
「この頃になると、さすがに陸上では男の子との差を実感しましたね。3年生の男子の先輩になると、ちょっとやそっとの差じゃなかったですから。でも、テコンドーでは男女一緒に試合をしていたんです。多分、当時は女子が少なかったからだと思うんですけど。だから、テコンドーでは男の子に絶対に負けたくないという気持ちが強かったですね」

 出場者を見渡せば紅一点という試合も少なくなかったが、木村は持ち前の負けん気の強さを発揮し、全国大会でも常に表彰台に上がった。優秀な選手はほとんどが関東圏内に集中しているテコンドー界において、地方出身者、しかも数少ない女子の木村は目立つ存在だったことは想像に難くない。徐々に「木村志穂」の名が全国へと広まっていった。

木村志穂(きむら・しほ)プロフィール>
1983年1月6日、愛媛県松山市生まれ。小学5年からテコンドーを始める。中学、高校時代は陸上部に所属。100メートルハードルで1年時に国体入賞。3年時には四国を制し、インターハイに出場した。愛媛大学ではテコンドー部に所属し、4年時には主将も務めた。卒業後は上京し、スポーツジムのインストラクターの仕事をしながら府中道場に通い、トレーニングを続けている。2005年世界選手権大会女子型2段の部で3位。2度にわたるヒザの手術を乗り越え、今年10月の世界選手権大会、女子型三段の部で準優勝に輝いた。女性では初となる副師範の試験にパスし、現在は週に一度、府中道場で女性を対象に指導している。






(斎藤寿子)
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