12月14日の夕方ごろのこと。『スポーツ・イラストレイテッド」誌の記者からのメールで、松井秀喜のエンジェルス移籍が決定的になったことを知った。
「俺の言った通りだったじゃないか!」
 その記者は11月に雑誌の企画で行なった「松井去就予測座談会」に参加してくれていて、松井のエンジェルス行きを予想していたのだ。しかし筆者はそんな得意気なメールを軽く読み飛ばすと、すぐにスポーツサイトで彼のメールが真実であると確認し、そしてしばし呆然としてしまった。
(写真:松井のヤンキースのユニフォーム姿ももう見られなくなってしまった)
 松井がニューヨークを去る日———。遅かれ早かれ訪れることだと考えてはいたが、実際にそれが起こるとやはり特別な感慨を呼び起こさせられてしまう。
「ゴジラ」の愛称で喧伝され、彼がニューヨークに初めて降り立ってからもう7年。「たった7年」と思われるかもしれないが、しかし同じ時期にニューヨークで日々を過ごしてきたものにとって、それは紛れもなく「時代」と呼ぶに相応しい時間だったように思える。

 ヤンキースでの通算成績は打率.292、140本塁打、597打点。勝負強さと献身的な姿勢でスター揃いのヤンキース打線の中でも確実に存在感を築き、主に4、5、6番といった重要な打順を任された。
「パワーは期待されたほどではなかった」という声も確かにあるが、しかし健康ならば安定して20〜30本塁打が期待できる日本人メジャーリーガーは他に存在しないし、これから先も出てこないかもしれない。
(写真:スーパースターばかりのチーム内でもゆるぎない存在感を発揮した)

 そして、その貢献はフィールド内だけに止まらない。間接的なものまで含めれば、松井がニューヨークにもたらした経済効果、さまざまな好影響は計り知れないものがあったはずだ。

 個人的な話をさせてもらえば、筆者のスポーツライターとしての初仕事もメジャー入団1年目の松井に関するものだった。このウェブサイトの二宮清純編集長から当時の担当者を通じ、「ニューヨークの松井フィーバーをレポートして欲しい」と依頼されたのだ。未熟なりに精一杯の想いを込めたその原稿が、無事に掲載されたときの喜びは未だに忘れられない。
 経験も技術もないライター志望者が、執筆機会を得るチャンスなどそれほど数多く転がっているわけではない。松井がヤンキースに来なかったら、今ごろどこかで別の仕事をしていたかもしれない。そして……そのような恩恵や影響を受けたのは、筆者だけに限った話ではないのだ。

 松井の活躍がゆえに憧れだったニューヨークに来られた記者、あるいは現地で新たな仕事を得たライターは他にも存在する。「松井が常連だ」と謳って客足を伸ばした日本食レストランもある。もちろんビジネス面だけでなく、松井入団がきっかけでこれまでさほど興味がなかったMLBに注目するようになった、生活の楽しみが増えたという人もニューヨークに数多い。

 ヤンキースタジアムにも以前に増して日本人の姿が数多く見受けられるようになった。彼らは立ち上がって母国語で声援を送れるようにもなった。これまでは球場の片隅で静かにプレーを見守ることの多かった日本人ファンが、少々大げさに言えば、松井のおかげで伝統のスタジアムで市民権を得たのである。

 と、こうして少々センチな感慨を込めて振り返っていると勘違いされそうだが、しかし筆者は特に深い思い入れを抱いて松井ばかりを見つめてきたわけではない。
 本格的にライター業に専念して以降、基本的に国籍に関係なく選手を見ることをポリシーにしてきたこともあり、ヤンキース内でも松井をメインに取材してきたわけではない。個人的に親しくしていたわけでもまったくないし、松井の記事執筆が仕事の中心だったわけでもない。

 実は同じニューヨークのチームでもメッツの方に肩入れしており、正直に言えば、サブウェイシリーズなどで好機に確実に仕事を果たす松井を疎ましく思ったことも一度や二度ではなかった。
 ただそれでも、もちろん松井の存在が自分の人生にもたらしてくれた好影響は認識しているし、少なからず感謝もしている。

 松井は過去7年間、黙々とグラウンドで汗を流し、チームのための打撃に専念し続けてきた。不調時でも変わらずに記者団の質問に答え続けた。
 そんな無骨でシンプルな方法で、筆者を含む日本人にとって、MLBとヤンキースをより身近なものにしてくれた。これまで誰も、ヤンキースの先輩・伊良部秀輝でも成し遂げられなかったことを、彼はやってのけてくれたのだ。
(写真:数多くの報道陣に囲まれる姿はヤンキースクラブハウスの名物にもなった)

 今秋、最後の最後でワールドシリーズのヒーローになった松井は、もうニューヨークでの役目をすべて終えたのだろう。そしてこれから、新天地である西海岸で現役生活を続けようとしている。
 これでもうメッツが松井のバットで痛い目に遭わされることもなくなる。膨大な数の記者(自分ももちろんその1人なのだが)で溢れかえったヤンキースタジアムの記者席で、窮屈な思いを味わうこともなくなる。
(写真:今年、優勝を遂げたことでもうニューヨークでのやり残しはなくなったのだろう)

 そして松井のビジネス効果がなくとも、自分ももう新人とは言えない年齢まで仕事を続けてきたわけだし、今後もこれまで以上に懸命に努力すれば、もうしばらくはニューヨークでスポーツライターとして生き残っていけるかもしれない。

 ただそれでも……今、松井秀喜がこの街からいなくなることが寂しい。
 彼は7年間もヤンキースの主力として活躍し、常にそこにいるのが当たり前と思える存在だった。自然な形で、ニューヨーカーに多くの好影響を与えてくれた。派手さはなくとも、鈍い光で周囲を静かに照らしてくれた。そんな日本人選手は、筆者のライター人生の中でも、ニューヨークにはもう2度と現れることはないに違いない。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

※杉浦大介オフィシャルサイト スポーツ見聞録 in NY
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