「木村志穂」の名が世界のテコンドー界に知れ渡ったのは2005年7月のことだ。オーストラリアで開催された第14回世界テコンドー選手権。木村は女子型2段の部で見事3位になった。初めて世界の舞台で表彰台の上に立った木村。世界の頂点に一歩、近づいた瞬間だった。
 愛媛大学卒業後、木村はかねてから希望していた通り、東京へと拠点を移した。東京は国内で最もテコンドーが盛んでレベルが高い。加えてそこには木村が最も尊敬する人がいた。日本に所属する選手としては唯一、世界ライト級で世界チャンピオンになった黄秀一(ファン・スイル)師範だ。
「もう、テコンドー界で知らない人はいなくらいのスーパースターですよ。初めて秀一師範の試合を見たのは中学生の時でした。家族旅行を兼ねて東京で行われていた全日本選手権を見に行ったことがあるんです。その頃から道場で教えられているのはわかっていましたので、いつか自分も習いたいなと思っていました」

 中学からの念願が叶い、木村は上京して以来、東京・府中にある道場に籍を置き、自分が最も尊敬している師範に指導してもらえる最高の環境の中、練習に励んできた。そんな彼女に試練が訪れたのは06年秋のことだった。練習中に左ヒザの靭帯を断裂。医師からは手術しない限り、競技を続けることは難しいと言われた。半年後には世界の舞台へとつながる全日本選手権が控えていたが、木村は手術することを決意した。結局、リハビリは10カ月にも及んだ。
「この時期はほとんど道場にも顔を出さなかったですね。見ていると、動きたくなってしまうので。普段は全くテレビを観ないのに、その時はドラマにはまったりなんかしてましたよ(笑)」

 手術して約1年後、木村はようやく本格的に復帰した。ところが、またもアクシデントが彼女を襲った。昨春、カザフスタンで開催されたアジア選手権。木村は組手の試合でジャンプの着地を誤り、同じ左ヒザ、今度は半月板を損傷した。
「そのまま試合を棄権して病院に直行しました。一応、通訳さんが同行してくれたんですけど、言葉が全く通じないので怖かったですね。レントゲン室に一人で入ったときには、何を言われているのかわからなくて……。黙っていたら、看護師さんが怒り始めたんです。本当に怖かったですよ。結局、通訳さんに聞いてもらったら、単に名前と生年月日を聞かれているだけでした(笑)」 
 帰国後、木村は再び手術をした。懸命なリハビリによって復帰は果たしたが、2度もメスを入れた左ヒザは今でもハードな練習の後には少しズキズキ痛むという。だが、それでも木村はテコンドーを辞めようとは微塵にも思っていない。なぜなら、彼女はまだ世界の頂に立っていないからだ。

 今年10月、木村は2大会ぶりに世界選手権に出場した。組手は初戦敗退を喫したが、またも型でメダルを獲得。しかも4年前よりも1つ上の銀メダルだった。頂にまた一歩近づいた。しかし、彼女にとってこの大会、最も印象に残っているのは型ではなく、負けを喫した組手の試合だった。
「今回の対戦相手は私よりもひと回りくらい大きな選手でした。私も身長160センチあるんです。その私よりもはるかに大きくて『本当に同じウエイト?』なんて疑ってしまったくらいです。案の定、パワーがありました。全体的に海外の選手はフィジカルが強いので、どうしても押し負けちゃうんです。パワーで対抗できないのであれば、スピードやフットワークでうまくかわしたり、それを利用するような技術を身につけないと……。そこが今後の課題ですね」
 
 I can do it.――木村の好きな言葉だ。負けず嫌いなところがある反面、ネガティブなところもある。必要以上に心配ばかりして、自分で自分を追い込んでしまうと木村は自己分析する。しかし、ケガをしたことで彼女は何かを悟ったようだ。
「大きなケガを2度もしたのに、リハビリによってまた選手として世界の舞台に復帰することができた。それを考えたら、やれないことはないんだなぁと思ったんです」
 まさに「ケガの功名」だ。そんな心の成長が木村を強くさせているのだろう。
 
 木村の幼少時代を知る恩師の松友省三師範は、ここまで彼女がテコンドーを続けるとは思ってもみなかったという。
「実は木村姉弟が道場に入ってきた当初、私は弟の方にほれ込んでいたんですよ。彼にはもう一目ぼれで、『やっと金の卵を見つけた!』と思ってそりゃ喜びましたよ。もう彼と世界を目指すしかないと。正直、彼女はそんな彼の姉という存在でしかなかったんです。
 でも人生、わかりませんね。弟は早くにテコンドーから離れてしまったのに、弟をきっかけにして入ってきた彼女がどっぷりとはまったんですから。しかも、世界で2位ですからね。大きなケガをしながら、本当によくやってますよ。リハビリは辛かったと思いますよ。そのごほうびという意味でも、来年の日本選手権で優勝して、2年後の世界選手権では組手で初勝利を挙げて欲しい。そう願っているんです」
 
 木村は今年、副師範の資格を取得した。テコンドー界において女子のパイオニア的存在ともいえる彼女が、果たすべき役割は決して小さくないはずだ。
「テコンドー界に木村志穂あり」――母親の久美はそんな存在になってくれることを願っている。

 来年3月には全日本選手権が開催される。今年は組手、型ともに準優勝に終わった木村は、そのリベンジを果たすつもりだ。そして2年後の世界選手権では、型、組手ともに金メダルを狙う。勝ってもうれし涙を流したことがないという木村。2年後、世界の頂点に立ったその時、初めて笑顔とともに流れる涙が見られるかもしれない。
(おわり)

木村志穂(きむら・しほ)プロフィール>
1983年1月6日、愛媛県松山市生まれ。小学5年からテコンドーを始める。中学、高校時代は陸上部に所属。100メートルハードルで1年時に国体入賞。3年時には四国を制し、インターハイに出場した。愛媛大学ではテコンドー部に所属し、4年時には主将も務めた。卒業後は上京し、スポーツジムのインストラクターの仕事をしながら府中道場に通い、トレーニングを続けている。2005年世界選手権大会女子型2段の部で3位。2度にわたるヒザの手術を乗り越え、今年10月の世界選手権大会、女子型三段の部で準優勝に輝いた。女性では初となる副師範の試験にパスし、現在は週に一度、府中道場で女性を対象に指導している。


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(斎藤寿子)
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