2月28日、雨からみぞれ混じりという悪天候の中で、第4回東京マラソンが開催され、3万人を超えるランナーが都内を駆け抜けた。私はランナーとして参加する幸運に恵まれ、多くの観客に励まされながら走ったが、東京という街、そして人々の温かさを感じさせてくれた素晴らしい大会だった。確実に年々問題点が解決されているのを実感し、日本でも有数のスポーツイベントになったと言ってもいいだろう。今後も新しい参加型スポーツイベントの形を構築していく絶好のロールモデルになり得ると思われるし、大いに期待したい。が、ちょっと気になるトラブルが、私の知りうるところであったようで……。
(写真:条件の悪い中、7時間の制限内に30,182人が完走した)
 それは私の仲間がいつも応援してくれる35km地点の築地で起きた。ここからがマラソンの最も大変なところということで、その地で料理屋を営む友人が炊き出しをして、2000個以上のおにぎりを毎年配っている。彼自身、アスリートなので、その気持ちをよく理解した上での心憎い配慮だ。昨年あたりからはその活動が知れ渡り、毎年TVの取材が入っているので、ご存知の方もいるかもしれない。

 時間にするとスタートから2時間を超えたあたり。ナンバー32番の尾崎朱美選手(セカンドウインド)がヨロヨロと走ってきて座り込んでしまった。体は震えており完全に低体温状態。気がついた料理屋の友人たちはすぐに駆けより状況を把握すると、お店からタオルなどを持ってきた。しかし、近くにいた競技役員は「監督の許可なく選手に触れては違反になるから触らないで」との指示。仕方なく、しばらく震える彼女を見ていたが、さすがにリタイアすることになり、毛布をかけて救急車を呼んでもらった。

 しかし、10分たっても救急車は全く来る気配がない。まずは温かい店内に運び込み、毛布で巻いて、暖かいおしぼりで身体を温める。それでも救急車は来ることがなく、途中で来た競技役員の言葉は「計測チップをとって」。結局、救急車で病院に搬送されたのは2時間後のことだった。もし、誰も介抱をせず、2時間も路上に寝かされていたらと思うと恐ろしい話である。

 また、同じころ、ゴールまであと700mの地点でも同様の事態が起きた。よろよろと歩いていた選手が倒れた。ナンバー34番の吉田香織選手(アミノバイタル)だった。小さな吉田選手も寒さにやられて動けなくなってしまったのだ。しかし、ここでも競技役員は見ているだけ。後続から走ってきた吉田選手所属クラブの会員さんが見かねて自分のレースを止め、彼女の介護にあたったという。この会員さんがいなかったら吉田選手もどうなっていたか……。

 どちらも競技役員がすぐ近くにいて状況を認識していたにもかかわらず、同じような事態を招いている。おそらく、一般の選手なら躊躇なくケアすると思うのだが、アジア大会の選考がかかっていたこともあり、「エリート選手は競技ルールの観点からむやみに手を出してはいけない」といった指示が出ていたのかもしれない。また、一般選手の不測の事態は想定されていても、エリート選手に限っては……との認識もあったのかもしれない。どちらにしても、こんなケースの対応マニュアルを準備していなかったのでは?と思わせるような出来事だ。今回、両選手は運よく周りの人々に助けてもらったので事なきを得たが、ひとつ間違えば大変な事態を招いていたかもしれない。

 一般ランナーや初心者だけでなく、エリートランナーだって倒れるものだ。想定が甘かったことは否定できないだろう。予想を上回る厳しい気象条件に加え、当日は津波警報が発令され、現場は混乱する状況であったのかもしれない。それでも、主催者の対応ミスで大きな事故を起こしてしまっては、世界有数の大会の証である「ゴールドラベル」が泣くというもの。ぜひ猛省し、来年の運営には生かしていただきたい。東京マラソンは皆の憧れの大会なのだから……。

 後日、セカンドウインドの川越学監督から友人のお店にお礼の電話が入ったそうだ。喜んだ彼は、来年もさらに張り切って炊き出しをやるだろう。スポーツは勝ち負けに関係なく人を繋いでいくものである。


白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。
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