私見だが、大別するとサッカーのスタイルにはプロアクティブ(未来予測)型とリアクティブ(現実対応)型の二つがある。「日本サッカーの日本化」を宣言した前任のイビチャ・オシム監督は典型的なプロアクティブ型の指揮官だった。
 脳梗塞で倒れたオシムからバトンを引き継ぎ、2度目の代表監督に就任した際、岡田武史監督も最初はプロアクティブ型を模索した。アジアのレベルではそこそこうまくいったが、アジアを飛び出すと、途端に行き詰まった。
 W杯本番前のテストマッチに4連敗、岡田も選手も途方に暮れた。チームにとってはここが底だった。

 もう時間がない。ここで指揮官はプロアクティブ型を捨て、リアクティブ型に舵を切った。端的に言えば、弱者の戦略だ。
 これがツボにはまった。格上のカメルーンに対して深めの陣を敷き、二の丸、三の丸はくれてやっても本丸には立ち入らせない。恐るべきスピードとテクニックに加え、野戦にたけた黒ヒョウのようなアタッカーたちをブロックという名の人垣で撃退し続けた。
 終了間際、カメルーンが城壁の外側に砲台を構え、ズドンズドンと本丸に向けて砲弾を放り込み始めたのは将棋の穴熊にも似た日本の守りを突き崩す手立てを最後まで見つけられなかった証である。

 岡田が最終手段として選んだリアクティブ・サッカーは本田圭佑のワントップにも表れていた。もとより彼はFWが本職ではない。ワントップといっても前線に張って離れ小島の灯台の役割を果たすわけでもなければ、コマネズミのように動き回って網の裂け目に侵入するわけでもない。前線でボールをキープし、ためをつくり、両翼の攻め上がりを待つ。そしてスキあらばゴールを狙う。いってみれば、彼に課された役割は“前線のリベロ”であり、実質的にはゼロトップとでも呼びたくなるような極めて守備的な布陣だった。

 プロアクティブ型には負けても未来がある。言い訳もできる。次世代につながる価値ある敗北だったと。しかしリアクティブ型を選択した以上、負けて残るものは何もない。岡田ジャパンは退路を断った。覚悟を決めた。そしてひとつになった。なりもふりも構ってはいられない。窮鼠と化した日本は猫(オランダ)も噛むのか。

<この原稿は10年6月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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