松山空港から車で6分。空港から松山市内に伸びる大通りから少し入ったところに森が院長を務める「整形外科つばさクリニック」はある。まだ新しいクリニックの中には診察室や処置室のみならず、奥の部屋ではトレーニングマシンが所狭しと並んでいる。2階に上がると、ボールを投げたり、蹴ったりできるほどのスペースも用意されている。これだけを見れば、まるでどこかのスポーツクラブの練習施設のようだ。
(写真:「リハビリ中のピッチャーが投球もできるよう(マウンドとホームベース間の)18.44mの距離がとれる広さになっています」と語るトレーニングルーム)
 森が整形外科医を初めて約20年、故郷にも野球独立リーグの愛媛マンダリンパイレーツ、サッカーの愛媛FCと2つのプロスポーツチームができた。クリニックには両チームの選手たちはもちろん、将来のトップ選手を志す10代のアスリートなど、毎日200名前後の患者が訪れる。
「コンセプトは“別メニューはつばさクリニックで”。ケガをした子が別メニューで球拾いをしたり、声出しをしていても、全体練習に早く戻れるわけではないでしょう? それなら全体練習に参加できるよう、ここで専門的に治療をしながらトレーニングをしたほうがいい。そして、チームの中で“こんなことをしたよ”と経験を伝えてくれれば、チームのためにもなる。理学療法士の方と一緒になって、こういうクリニックをつくりたいとずっと思い続けてきました」

 愛媛はもちろん四国を見渡しても、このような治療とリハビリ、トレーニングを一体化した施設は珍しい。構想を具現化するにあたっては、「そんな誰もやったことないことが成功するのか」と心配する声もあった。
「“やったことないからダメ”というのは一番の敵ですよ。やったことのない人間に限って、ネガティブなことを言ってくる。それでも僕は実現してきましたから」
 今回の日本代表チームドクターとしての仕事もそうだった。代表招集から最低1カ月近くはクリニックを留守にしなくてはならない。しかも滞在日程は成績次第で流動的だ。その間の診察はどうするのか。森が出身の愛媛大学に頼むと、交代で約15名の医師が代診をしてくれることになった。

 W杯での経験を後進へ

「結局、6週間もいなかったので、帰ったら見ていないカルテが分からなくなるくらいありました。単純計算で1日200人として、6000くらい。診察後に深夜まで残ったり、休日前には徹夜したりしながら、何とか2週間で全部確認ができたところです」
 W杯で日本代表のドクターを務めたのは、4大会でわずか4人しかいない。フランス大会の福林徹(現日本サッカー協会スポーツ医学委員会委員長)、日韓大会とドイツ大会を経験した森川嗣夫、ドイツ大会と今大会に帯同した清水邦明、そして森だ。ある意味、選手より狭き門と言えるだろう。

 代表ドクターとしての契約は4年間。とはいえ、そこはプロの世界だ。働きぶりなどで、途中から試合に呼ばれなくなることもある。極端なケース、1試合で“クビ”になってしまうこともあるのだ。
「招集の連絡があった時は、“あぁ、今回も呼ばれたな”という気持ちですね。その点では選手と似た心境かもしれません」
 ただ、“代表に残りたい”といった気持ちで仕事をしたことは一度もないという。
「選ばれれば名誉なことですけど、誰がドクターになってもチームがうまくいけばいいと思っています。普段からできることを一生懸命して、請われた時はチームのために精一杯頑張る。そういうプロでありたいなと」

 勝てる組織は、そのすべての構成員が同じ方向を向いている。まさに今回の南アフリカでの代表チームがそうだった。試合前のセレモニーでスタメンとベンチ入りの選手、スタッフ全員が肩を組んでいたのが、その象徴だ。森はベンチ入りメンバーが、いつでもゲームに出られるよう準備を怠っていなかったと明かす。そして森自身もプロとして自分の役職を全うした。

 今後はこの貴重な経験を後進に伝えていくことが役割となる。次なるゴールはどこにあるのか。
「2017年の愛媛国体に各競技やカテゴリに専門のドクターやトレーナーを派遣できるくらい人材を充実させたい。その中から五輪やW杯に行けるような人間が出てくればと考えています。やはり、こういった現場に関わることは痺れる、いい仕事ですからね」
 愛媛だろうと、どこにいようと関係ない。仕事で評価されるプロのサポート集団をつくる。その取り組みは今後、日本スポーツの発展をより下支えしていくに違いない。

(おわり)
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森孝久(もり・たかひさ)プロフィール>
1963年7月16日、愛媛県生まれ。松山東高時代にサッカーで右大腿直筋を断裂したことをきっかけに整形外科医を志す。愛媛大学医学部に入学し、同附属病院で91年に医師生活をスタート。93年から愛媛FCユースのチームドクターとしてサッカーに携わる。01年には愛媛FCトップチームのドクターに就任し、翌年にはユニバーシアード日本代表のチームドクターに。02年日韓W杯では横浜国際総合競技場にてスタジアムの医務を担当する。06年10月より日本代表のドクターに抜擢され、イビチャ・オシム、岡田武史両監督の下で代表チームをサポートした。07年9月には松山市に整形外科つばさクリニックを開院。院長を務める。
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(石田洋之)
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