彼に初めて会ったのは、もう5年以上前のことだ。
 2005年5月、ぼくは南仏にいた。以前もこの連載で何度か書いたように、モンペリエでプレーしていた廣山望選手の単行本『此処ではない何処かへ』がきっかけで、しばしば南仏を訪れるようになっていた。

 モンペリエの駅近くに泊まっていた、ぼくの部屋のテレビからは、2部リーグの試合が流れていた。
 赤と黄色のユニフォームを着た選手たちが、ピッチの中で大喜びしていた。ルマンは1部昇格を決めたのだ。
 本来ならば、この試合、ニオール対ルマン戦を取材するつもりだった。ところが急遽予定が変更となり、南仏に居続けていたのだ。
 この時期の南仏は本当に気持ちがいい。
 この日の午後、ぼくは青い空の下で闘牛を見ていた。ニームにある円形劇場には、パスティスの甘い匂いが漂っていた。
 パスティスは、スターアニスを材料とした蒸留酒である。長細いコリンズグラスに琥珀色のパスティスを入れる。そこに水を注ぐと白濁する。最初飲んだときは、歯磨き粉のような味で、思わず吐きそうになった。ところが飲み続けていると、慣れてきて、美味く感じるのだ。乾いた南仏の気候には、ぴったりの飲み物だった。

 こののんびりとした休暇もそろそろ切り上げなければならなかった。
 この雰囲気を中断して、松井大輔に会うためにルマンへ向かうことになっていたのだ。
 松井は怪我のため、昇格の決まった試合を欠場していた。チームに帯同していなかったので、ピッチの中にはいなかったのだ。
 松井には以前から話を聞きたいと思っていた。ただ、少しひっかかりがあるとすれば、ルマンはかなり北部にあたる。南仏の空に未練があった。
 松井の資料を読んで、心を高ぶらせることにした。
 松井は、鹿児島実業を卒業後、京都パープルサンガに加入。韓国代表のパク・チソンたちとプレーしている。ぼくが何試合か見た記憶では、人を食ったようなプレーをする選手だなと印象があった。
 アテネ五輪には、背番号10をつけて参加したが、それ程目立たなかった。五輪後、フランスのルマンというクラブに移籍していた。
(写真:南仏のモンペリエの空気は暖かく、乾いていた。サッカーをするのに最適な気候である)

 松井は、いわゆる「ファンタジスタ」に区分される選手ようだ。
 ぼくは、日本のファンタジスタには辟易していた。
 ゴールエリアぎりぎりのところで、人が思いつかないプレーで得点につなげるのが本物のファンタジスタである。日本のファンタジスタは、自分のボールの持つことのできるエリアで派手なプレーをすることが多い。甘口のメディアがそれを持ち上げているだけだと思っていた。余計なプレーは、相手にボールを奪われる可能性が増えるだけなのだ。
 肝心な場所で、1対1に勝てる選手こそファンタジスタでなければならない。
 京都サンガでの松井のプレーは可能性を感じさせただけで、何かもう一つ足りなかった。
 日本にはこうした選手が沢山出て、そのまま消えていった過去がある。当時の日本の指導者は、ひらめきのある選手を手にあまるのか、育てきれない傾向があった。
 松井の移籍先が発表になった時、ぼくはいい選択だと思った。ルマンはフランスリーグ2部のクラブだったのだ。
 ぼくは常々、欧州の二部リーグを日本人が格下に見るべきではないと思っていた。イングランド、イタリア、スペイン、フランス、ドイツといったトップリーグの2部のレベルは低くない。J1のクラブの上位チームでなければ、互角に戦えない。日本に良くいる華奢な体格で、ちょっとした足技を自慢にしている選手は、激しい当たりにたたきつぶされて、何もできないだろう。
 欧州の2部リーグは、ファイターでなければ戦えない。
 ぼくの知り合いのスペインリーグのスカウトは、東欧などの外国人は2部で経験を積んでおれば、活躍が計算できるので、獲得しやすいのだと言っていた。
 特に、フランスリーグは、旧植民地諸国出身者が外国人枠に数えられない。二部リーグには、個人能力だけならば、すぐに1部リーグに引き抜かれてもおかしくない選手が転がっていた。

 松井は2004−05シーズン開幕からルマンにレンタル移籍していた。松井が加わった初年度に、チームは一部昇格を決めた。松井は激しい当たりの中で、結果を残していた。ビデオで見る限り、松井のプレーはずいぶん変わっていた。
 彼がフランスリーグ2部で何を掴んだか、聞きたいことが沢山あった。
 南仏の快適な空気を、諦めさせるには充分だった。
 TGVはモンペリエの駅を出ると、北へ向かった。
 途中から車窓から見える青い空が灰色になっていた。時計を見たら日暮れにはまだ早い。地面が黒く濡れていることに気がついた。雨が降っているのだ。
 停車した駅から乗り込んでくる人たちの服装は、みな長袖で薄手のコートの襟元を抑えている人もいた。外は寒そうだった。
 終点のパリで降りると、ぼくの半袖と七分丈のパンツ、サンダルは周囲から浮いていた。数時間前にいたモンペリエの青い空が嘘のように、パリは肌寒かった。
 乗り換えてルマンへ――ルマンは特徴のない地方都市だった。
(写真:ルマンの空は灰色で、昼間でも肌寒かった)

(続く)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。






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