9月19日、愛知県常滑市。人口5万人の街に日本で初めて「アイアンマン70.3」がやってきた。世界で40戦を越える「アイアンマン70.3シリーズ」が、ようやく日本で開催された記念すべき日である。しかし、開催するまでの道は平らではなく、いろんな人のつながりと幸運が重なり、この短期間で出来たのは奇跡に近いのかもしれない。
(写真:セントレア空港内も大会の雰囲気)
 トライアスロンは大きく分けて2つの競技距離がある。まずオリンピックで採用されているスイム1.5km、バイク40km、ランニング10kmという距離で開催されるオリンピックディスタンス。このレースは速い選手で2時間弱、一般の選手でも3時間から4時間程度で完走することが出来るので開催数も多く、世界で開催されている大会の8割程がこの距離だと言われている。もう一方、スイム3.8km、バイク180km、ランニング42kmと長い距離で開催されているのがロングディスタンス。その世界的シリーズが「アイアンマン」という事になる。「アイアンマン」は世界中で開催されており、このシリーズの頂点がハワイアイアンマンとして、世界中のトライアスリートの憧れだ。そのアイアンマンシーリーズの半分の距離、スイム1.9km、バイク90km、ラン21kmで開催されるのが合計70.3mile(112.9km)の70.3シリーズ。このシリーズが現在世界中で爆発的な人気を呼んでおり、このうちの1戦が今回開催されたのである。
(写真:1100人の選手で盛り上がる)

 きっかけは空港会社の一人がセントレア空港5周年記念事業としてトライアスロン大会をやりたいと考えたことから始まる。しかしそれは仲間内の企画にしか過ぎず、埋もれかかっていたところで、上司が人を介して紹介を受けた私の会社「アスロニア」に相談へ行く事になった。ちょうどアスロニアでは70.3の国内開催権を持つことになり、開催場所を探していたところだったため、ミィーティングは盛り上がり開催しようということになった。すぐに常滑で市長をはじめとする市の幹部と相談、東京のミィーティングから2カ月後には主催者共同体が立ちあがるという異例の速さでプロジェクトが進行した。
 空港、市、アスロニアと三者の思いが近かったこと、それぞれのトップのフットワークが軽かったこともあり、話はとんとん拍子に進むかに見えた。
(写真:常滑市は招き猫で有名)

 しかし、大きな2つの壁が我々の前に立ちはだかる。お金と道路である。
 通常、トライアスロンは人口が少ない地域で開催することが多い。競技に道路を使用することで通常の生活に支障をきたすため、住民への配慮を考えると街中での開催は容易ではない。オリンピックディスタンスのエリート大会などはで街中で開催する場合もあるが、それでも短い周回コースを何度も周るパターン。ところが、70.3の競技距離は長く、一般参加者が多いので、使用するコース距離も時間も長くなる。それを5万人が住む地域で開催するということは、相当高いハードルだった。難航する交渉、地元の地域への説明会は40回以上、戸別訪問は500戸を超え、スタッフたちの奮闘は続いた。その甲斐もあり、なんとか市内でのコース設定を済ませたが、もうひとつ大きなハードルとなったのが常滑市と空港を結ぶ連絡橋の問題。市街を通って空港でフィニッシュという絵を描いていた主催者側は、自動車専用道路であり、空港への大切なアクセスである橋をランニングで渡れないかという交渉を重ねていた。しかし、空港への唯一のアクセス道路を通行止めには出来ない上、自動車専用道路を稼働させながらランニングで渡らせるという前例のない申請が簡単に認めるはずもなく、粘り強い交渉が続けられた。開催募集をする時期になってもその糸口はつかめず、募集開始時に発表されたコースには連絡橋は入っていなかった。長い交渉の末、許可が下りたのは開催の50日前。この時期から大幅なコース変更は大変な作業であったがここも総動員で切り抜けた。
(写真:フィニッシュ滑走路の隣。後ろにタラップが見える)

 主催者サイドがここまで連絡橋にこだわった背景は、市と空港の関係によるものがある。空港が出来て5年経過しても、なかなか相互の意識の差が埋まらない。物理的には1kmの海を挟むだけだが、心理的な融和には少々温度差があったのも事実。何しろ開催発表の記者会見で常滑市長と空港会社社長が並んだのは開港記者会見以来だったとか。だからこそ、双方一緒に取り組むプロジェクトで、市街から空港を物理的に結び付ける必要があったのだ。開催までの半年近く、ある空港職員のメインの仕事はこの橋の許認可だったと言っても言い過ぎではない。そして、なんとか得た使用許可だったが、その安全管理にも低くないハードルがあり、施工費の見積がなんと4000万!? 開催全費用の半分近くを占めるものとなった……。
(写真:華やかに見える大会も地味な努力の積み重ね!?)

 橋や市街地を走るがゆえの安全対策資材はコーン10000個、コーンバー4000本、3mの単管フェンス600枚、仮設ガードレール1600m。通常のイベントでは考えられない数になり、それはそのまま運営費にのしかかってくる。開催が決まった年明けから営業に走り回っているスタッフにも焦りと疲労が隠せなくなっていった。通常、企業の予算は年末までにリストアップし、年度末には翌年度予算を確定する。にも関わらず、営業活動を始めることが出来たのが、その予算確定時期なのだから明らかに出遅ていた。苦戦するのも当然なのだが、開催が決まらない案件の営業を行うことも難しい。積み上がっていく経費と増えない予算に皆の知力、体力、縁故の総動員が続いた。

 そんなこんなでようやくたどり着いた開催。これも神様が応援してくれたのか、この時期では最高のコンディションというくらい静かな海と、気持のよい晴天に恵まれた。市民ボランティアも予想以上にたくさん集まっていただき1300人を動員した。なんと人口の3%近くが手伝いに来てくれた計算になり、準備したTシャツが足りなくなるという嬉しい悲鳴を上げる事態となった。医療班50名、スイムレスキュー100人、警備員600人、警察官180人という大勢の方々の協力とサポートの中1100人のトライアスリートが熱いレースを繰り広げた。
(写真:前日にはキッズの大会も開催され盛り上がった)

 こうして日本初の「アイアンマン70.3」はタイミングと縁に恵まれ、多くのハードルを乗り越えて開催された。常識的には不可能と思われていた開催も、人のエネルギーがそれを可能にするというのを証明したような大会だったと思う。
 もちろん次は継続していくという大きなハードルがあるが、このエネルギーを失わない限り、きっと越えられていくものだと信じたい。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)が発売中。
>>白戸太朗オフィシャルサイト
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