二宮: 山梨学院大に進学したきっかけは?
浅見: 実は最初、山梨学院大に柔道部があるなんて知らなかったんです(苦笑)。でも西田(孝宏)先生と山部(伸敏)先生に「1回、練習に来てみないか?」と声をかけていただきました。その時は軽い気持ちだったんですけど、実際に行ってみるとすごく練習内容が濃かった。西田先生からは「日本一にしてやるぞ」とも言われました。みんな一生懸命練習していたので、「本当にここでやったら日本一になれるんじゃないかな」と思ったんです。
二宮: 大学に入って成長した点は?
浅見: やはり相手を投げられる技を身につけたことです。体落としもできるようになりましたし、西田先生には一本背負いを教えていただきました。なかなかきれいにはかからないんですけど、練習するうちに技のバリエーションは増えましたね。高校までは判定で僅差の勝利が多かったのに、大学に入ってからは一本で勝てるようになりました。その点は成長したと感じています。

二宮: そして大学2年生の時に、第一人者の谷亮子さんと初めて顔を合わせます。指導をとられての敗戦でしたが、対戦しての印象は?
浅見: 試合前からすごくオーラを感じましたね。付き人も多くて雰囲気が別格でした。でも、実際に戦ってみると、指導1つしか差はなかった。もうちょっと研究して頑張ったら勝てるんじゃないかなとは感じました。

二宮: やはり五輪の柔道を最初に見たのは、田村亮子として活躍していた頃ですか?
浅見: そうですね。ずっと憧れの存在でした。アトランタ五輪でケー・スンヒ(北朝鮮)に決勝で小外で返されて負けた試合は、自分のことのように悔しかったです。優勝すると信じて応援していたので……。世界の壁の厚さを感じました。

二宮: バルセロナ、アトランタとあと一歩のところで優勝を逃し、シドニーでようやく念願の金メダルを手に入れた。「やっと初恋の人に巡り合えた」というセリフが印象的でした。その時の試合は覚えていますか?
浅見: もちろんです。最後、リュボフ・ブロレトワ(ロシア)内股できれいに投げて勝って、すごいうれしかったです。「最高でも金、最低でも金」と言って、そのとおりになったので気持ちが強いんだなと思いました。

二宮: 本当に谷さんのファンだったんですね。
浅見: オリンピックに5回も出て連覇もして、すごいなと思いながら見ていました。小さな体でも動きが速くて大きな相手でも投げ倒せる。とても格好良かったです。そんな人と実際に戦うことになるとは思いませんでした。

二宮: 谷さんと話をしたことは?
浅見: あまりありませんが、北京五輪前の練習でマッサージをされている時に、谷さんが携帯電話でムービーを見ていました。それがお子さんのムービーだったので、「私も見たいです」って見せてもらったことはあります。

二宮: 谷さんは今回、国会議員の仕事に専念するため引退を表明しました。本音としては、もう1回対戦して勝ちたかったのでは?
浅見: はい。やはり谷さんじゃなきゃダメなんだとみんなに思われないためにも、今度は負けたくなかったですね。私は柔道だけやっているので、練習量では絶対に負けていないと思っていたので……。

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(第3回につづく)

浅見八瑠奈(あさみ・はるな)プロフィール>
1988年4月12日、愛媛県出身。柔道一家に生まれ、3歳頃から柔道をはじめる。新田高では3年時にベルギー国際で初優勝。山梨学院大に進学後、1年時に全日本ジュニア、講道館杯を制覇。昨年は国際大会5戦ですべて優勝と強さをみせる。今年4月の選抜体重別で2位になり、世界選手権出場が決定。初出場ながら初優勝をおさめた。来春からはコマツに入社予定。組み手は右、得意技は背負い投げ。身長153センチ。




(構成:石田洋之)
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