ここであらためて世界の頂点に立った9月の世界柔道を振り返りたい。
 浅見は1回戦から準決勝までをオール一本で勝ちあがった。決勝の相手は世界ランク1位の福見友子(了徳寺学園職)。予想通りの顔合わせだった。福見は、この階級で第一人者の谷亮子に2度土をつけた唯一の選手だ。前回大会に続く連覇を狙っていた。
 過去の対戦成績は浅見の1勝3敗。浅見は右組み、福見は左組みのケンカ四つで分は悪かった。
「組み手は向こうの方が強い。でも技なら私にも勝ち目はある。接近戦で組み手にこだわらない柔道をしよう」
 山梨学院大の西田孝宏総監督、山部伸敏女子監督、そして練習相手の濱口光と4人で福見の動きをビデオでじっくりと研究した。

「柔道って最終的には組み手で負けてしまうと勝てない。これまでの浅見は福見にいいところを持たれ、主導権を握られて負けるパターンだった。だからそれを何とかしたかった」
 福見対策は世界柔道の舞台である東京に入ってからも続いた。午前中に行われる日本代表の合同稽古では福見も一緒にいるため、手の内を明かすことはできない。午後に別途、時間を設け、大会ギリギリまで打倒・福見の作戦を体に叩き込んだ。

 その成果を畳の上で見せる時がやってきた。立ち上がりから、浅見は釣り手の位置を上から、下からと自在に持ち替える。それまでの浅見は釣り手を下から持ち、充分な体勢にならないと力を発揮できなかった。相手にはいつも上から押さえつけるように釣り手を切られていた。それが、この試合では組み手にこだわらず、どんどん間合いを詰めてくる。前回覇者の女王は明らかに戦いにくそうだった。

 そして1分58秒、試合が動く。福見が攻撃的姿勢に欠けるとみなされ、「指導」をとられたのだ。相手は劣勢を挽回しようと、反撃に転じる。しかし、浅見は冷静だった。福見の背負い投げに対してはうまくバランスをとってポイントを許さず、逆に足技を繰り出して相手の出足を止める。

 残り2分を切ったところで、再び主審が試合を止めた。両腕をグルグルと廻し、福見に対して指を差す。2つ目の「指導」だ。これにより浅見に「有効」が与えられ、ポイントでリードを奪った。
「ポイントをとってからの時間は長かったです。投げられる怖さはなかったですけど、指導をとられる怖さはありました。指導を2つとられれば、有効で並んでしまいますから」

 だが、浅見は最後まで攻撃の手を緩めなかった。小学校から唯一練習してきた三角絞めで福見の体を足で挟み込み、時間をうまく使った。
「理想通りの試合運びでしたね。いくら研究しても、試合でできないヤツはできない。でも、浅見は私たちが考えた対策を素直に受け入れて実践してくれた。投げて勝つことはできませんでしたけど、投げるチャンスが出てきたことは大きかったと思います」
 西田総監督はそう決勝の戦いぶりを評価する。

 試合終了のブザーが鳴った。初出場初優勝。「観客席からワーッと歓声が聞こえてきて気持ちよかったですね」。沸き立つ場内とは裏腹に、本人はいたって落ち着いていた。喜びを爆発させるわけでもなく、表情もほとんど崩さない。パッと見ただけでは、どちらが勝ったのか分からないほどだった。
「お父さんからは電話で“おめでとう”と祝福された後、“でも福見より上に行ったわけじゃない。やっと並べただけだ。これからが大変だぞ”と言われました」
 そのことは浅見が最も自覚していた。会心の優勝とはいえ、あくまでもスタートラインに立っただけ。頂点に立っても有頂天になることは全くなかった。

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(最終回につづく)

浅見八瑠奈(あさみ・はるな)プロフィール>
1988年4月12日、愛媛県出身。柔道一家に生まれ、3歳頃から柔道をはじめる。新田高では3年時にベルギー国際で初優勝。山梨学院大に進学後、1年時に全日本ジュニア、講道館杯を制覇。昨年は国際大会5戦ですべて優勝と強さをみせる。今年4月の選抜体重別で2位になり、世界選手権出場が決定。初出場ながら初優勝をおさめた。来春からはコマツに入社予定。組み手は右、得意技は背負い投げ。身長153センチ。





(石田洋之)
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