二宮: メジャーリーグで4年間プレーした経験から、一番、日本野球に伝えたいと考えていることは?
岩村: 野球に対する考え方、価値観ですね。アメリカではベースボールはやっぱり家族があってこそできるっていう文化なんです。日本人はどうしても職場に奥さんや子どもが立ち入ってはいけないような雰囲気になっていますよね。
(写真:岩村、松井稼の元メジャーリーガーによる三遊間が仙台を熱くする)
 正直、引退を考えた

二宮: しかもメジャーリーグでは自分の子どもを球場に連れてきて、同じ背番号のユニホームを着てキャッチボールをしたりしています。そんな微笑ましい光景はあまり日本では見られませんね。
岩村: だからこそ、僕は率先して子どもを球場に連れていきたいと思っています。周囲には「自分の子だけ」と思われるかもしれないですけど、ただでさえプロ野球選手の子どもは色眼鏡で見られがちですからね。それはそれでいいんじゃないかと思います。逆に僕自身が子どもの笑顔だったり、「野球が好き」って言葉がモチベーションになるかもしれません。正直、昨年は3Aで苦しんでいる時に、単身赴任だったせいもあって、ちょっとネガティブなことを考えていましたからね。

二宮: それはたとえばどんなこと?
岩村: 具体的に言うと引退ですね。「この歳で?」って思われるかもしれませんが、年齢なんて関係ない。自分が望んだパフォーマンスが出せないと思ったら、僕は引退だと覚悟していますから。去年は自分が完全に自信をなくして、そういうことすら考えてしまった。ただ、その時にもし家族がいれば、そこまで落ち込むことはなかっただろうなと感じるんです。

 日本代表には若手を

二宮: 郷に入りては郷に従えとの言葉があるように、やはり異国の地で成功するには、その土地の文化を受け入れ、適応できるかどうかが大切です。今のエピソードからも岩村選手が米国の価値観を取り入れようとしていた姿勢がうかがえましたが、食事面での苦労はなかったですか?
岩村: 僕はそれも受け入れないと成功しないと考えていました。最終的には何でも食べられればいいと。アメリカから日本にきた外国人選手を見れば分かりますが、それくらいの気持ちじゃないとやっていけない。むしろアメリカで楽しかったのは、気兼ねなしにファーストフード店で食事ができたことです。たとえばボストンに遠征に行った時には、試合前にホテルの隣にあるパンダエクスプレス(中華料理のファミリーレストラン)にお客と一緒に普通に食事をして球場入りしたこともありました。

二宮: 日本だとファーストフード店にスター選手がいると騒ぎになりますが、アメリカのファンはプライベートを尊重してくれますからね。
岩村: そうですね。その代わり、グラウンドではファンサービスをしっかりする。特にアメリカは東海岸から西海岸まで遠征しますから、遠く離れたビジター球場で応援してくれるコアなファンは本当にありがたかったです。

二宮: 今回、日本に戻って古巣・東京ヤクルトとの対決もあります。これまで岩村選手を応援してくれた神宮球場のヤクルトファンはどんな反応を示すでしょうか。
岩村: 楽しみにしていますよ。早速、オープン戦で神宮の試合(3月13日)があるので、ヤクルトファンと会えるのがうれしいです。でも、この4年間でヤクルトの選手は大きく入れ替わりましたよね。僕がレギュラーになった頃に一緒に戦っていた先輩はほとんど引退されています。現役を続けているのは宮本さんくらいです。だからこそ、40歳になってもチームを引っ張っている宮本さんの姿は野球人として励みになりますし、そういうチームと試合ができることは喜びですね。

二宮: 岩村選手は第1回、第2回とWBCで連覇に貢献されました。次回の第3回大会は2013年。3連覇を狙いたい気持ちは?
岩村: うーん。まぁ僕もまだ、その時は34歳ですけど、こういった世界大会にはもっと若手が出てほしい。彼らが世界と戦うことで、もっと上の世界があることを体感してほしいというのが正直な気持ちです。もちろん僕の野球人生だけを考えるなら、代表としてプレーするのもありでしょう。でも日本の野球界の今後を考えれば、若い選手で日本代表を構成したほうがいいのではないでしょうか。ただでさえ、日米野球や五輪もなくなって海外の選手と実力を比較する場がない。現状はその唯一の大会がWBCですし、若い選手がこの大会を目標にするくらい夢を持ってほしい。

二宮: 岩村選手はオフに野球教室もたくさん開催されています。そういった野球少年もWBCを目指すくらい大きく翔いてほしいと?
岩村: 最近は夢のない子が多いですよね。だから野球教室では「夢を持て!」と言っているんです。もちろん、このご時世ですから「夢を持って何になるの?」と言われたら、大人としてはツライ部分もある。でも、僕は野球選手になりたくて8歳でソフトボールを始めました。その夢を抱き続けたことで、自分はここまで成長できたんです。だから、やっぱり子どもたちには夢を持ってほしい。そうすれば明るい未来は待っているはずです。

 球場に合った打撃が重要

二宮: 開幕までもう1カ月を切りました。ズバリ今季の目標は?
岩村: もちろん優勝を狙います。たとえ昨季が最下位でも優勝を狙わないなら、やる意味がない。星野監督を胴上げする。これが最終目標です。僕も日本では2001年にヤクルトで日本一になって、若松(勉)監督を胴上げで一回転させました。星野監督を一回転させるのは難しいかもしれないですけど、それくらい感極まるようなシーズンにしたいですね。どの球団もスタートはゼロから始まるわけですから、ひとつひとつ確実に勝っていけば、必ずいい結果は見えてくると思っています。

二宮: 岩村選手はパ・リーグでプレーするのは初めてです。近年のパ・リーグはダルビッシュ有、涌井秀章、杉内俊哉……と各球団に日本代表クラスの好投手が揃っている。そういう好投手をどう打ち崩せるかがポイントになります。
岩村: パ・リーグはどの球団も好投手が2枚いますからね。でも、こちらとしては相手投手が誰であっても、真っ向勝負を挑みたいです。

二宮: 仙台のファンは、そういった好投手から試合を決める一発を打ってくれることを期待していると思いますよ。
岩村: ただ、Kスタ宮城は広いですからね。弱気に聞こえるかもしれませんが、地の利を生かしてスタジアムに合ったバッティングが大切だと思っています。昨季、パイレーツの本拠地PNCパークでプレーした時には左中間がものすごく広かった。他の球場ならホームランといういい当たりがすべて外野手に捕られてしまったんです。それでも左中間へボールを飛ばそうとするのは球場に合ったバッティングとは言えない。これはいい経験になりました。だから個人的な目標で今、言えるのは本塁打や打率ではなくて全試合に出場すること。試合に出るためには、それなりの成績を残さなくてはいけませんから。

二宮: 逆に言えば、試合に出れば、結果は自ずとついてくる自信があると?
岩村: いや、今はまだ自信はありません。去年、自信を完全に失いました。だから、これからが挽回する時期です。僕も(松井)稼頭央さんも昨季は苦汁をなめました。今年こそやってやるという思いは人一倍持っています。これから、まずは開幕に向けて輝きを取り戻したいですね。

二宮: 仙台と岩村選手の出身地・宇和島は、いずれも伊達家のゆかりがある土地です。これも何かの縁でしょう。
岩村: 不思議なつながりを感じますよね。僕が最初に楽天入りを発表したのも、昨年11月の宇和島産業まつりのステージ上でした。宇和島市民のみなさんはみんなビックリされていましたが、仙台とは伊達家つながりで姉妹都市でもあるし、すごくいいことだと喜んでいただきました。なので、僕は仙台と宇和島の間で何らかの大使になって、松山−仙台の直行便を飛ばせるように県知事に働きかけたいと思っています。

二宮: 昔は松山−仙台便がありましたからね。もし1日1本でも飛行機が飛べば、愛媛のファンもたくさん応援に行けます。
岩村: せっかく日本に戻ってきたんですから、ぜひ愛媛のみなさんにもプレーを見ていただきたいですよ。飛行機がないと、なかなか交流を深めることもできない。もうこればかりは県を動かすしかありませんからね(笑)。そのためにも僕は今シーズン、熱いプレーをお見せしたいと考えています。2011年の岩村明憲に注目してください。

(おわり)
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<岩村明憲(いわむら・あきのり)プロフィール>
1979年2月9日、愛媛県出身。右投左打の内野手。宇和島東高から97年ドラフト2位でヤクルトへ入団。00年にはサードのレギュラーとなり、ゴールデングラブ賞を初受賞。翌年、ヤクルトの日本一に貢献した。04年に自己最多の44本塁打をマークしたのを皮切りに、3年連続で打率3割、30本塁打以上を記録。ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞6回の実績を残し、06年オフにポスティングシステムでメジャーリーグに挑戦、デビルレイズ(現レイズ)に移籍した。慣れないセカンドへのコンバートを経験しながら、08年には1番打者としてチームを牽引。チームを球団創設初のリーグ優勝に導いた。WBCでは06年、09年と日本代表のメンバーとして連覇を果たしている。10年はパイレーツへ移籍したが、シーズン途中に戦力外通告を受け、9月にアスレチックスへ。今季からは5年ぶりに日本球界に復帰し、楽天でプレーする。日本での通算成績は打率.300、188本塁打、570打点。メジャーでの通算成績は打率.267、16本塁打、117打点。



<この記事は「二宮清純の我らスポーツ仲間」(テレビ愛媛、2011年1月2日放送)での対談を元に構成したものです>
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