中矢は兄の影響で幼稚園の頃から柔道を始めた。最初は半分遊びのつもりだったが、同い年の女の子に勝てないのが悔しかった。
「この子に勝つまではやめられない」
 負けず嫌いな性格が幼い心に火をつけた。練習を重ねて力をつけ、その女の子を倒した。もう、この時にはすっかりやめられないほど柔道が好きになっていた。
 ひとりのライバルを倒すと、また新たな強敵が現れる。小学校1年の時には当時の県チャンピオンに初めて勝って優勝した。テレビにも映り、インタビューも受けた。勝つことの喜びを知り、ますます柔道にのめりこんだ。

 小学校3年生からは伊予柔道会へ。野村忠宏のライバルだった徳野和彦(コマツ女子柔道部コーチ)らを輩出した強豪の柔道会である。1つ年上には昨年の世界選手権で女子48キロ級を制した浅見八瑠奈(山梨学院大)もいた。
「めちゃくちゃ力があって、強かったですよ」
 そう浅見が当時を振り返るように、小学時代はほぼ無敵。たまに負けると、人目もはばからず、悔し涙を流すほど勝ちにこだわった。

 ただ、食が細く体は小さかった。中学校2年生まではもっとも下の55キロ級。3年生になって、ようやく階級を上げた。ところが、60キロ級、66キロ級にはライバルがひしめく。そこで選んだのが73キロ級だ。
「1年間で18キロも体重を増やしたんです。自分でもビックリでした」
 食が細かった少年が体重を増やすため、朝から2.5合のごはんを食べた。夕食後に道場での練習が終わると、家族が夜食をつくってくれた。急激な体重増加の影響か、じんましんが出たこともあった。

「でも、あの時、無理して食べたことで体ができた。もし、そのまま普通にやっていたら体は小さいままだったでしょうね」
 成長期と重なり、体重だけでなく身長も一気に伸びた。アスリートにとっては食事も稽古のうちだ。わずか1年での3階級アップ。それが結果的には今の中矢の土台を築くかたちになった。

(第3回へつづく)

<中矢力(なかや・りき)プロフィール>
1989年7月25日、愛媛県出身。5歳から柔道を始め、小学校時代は県内でほぼ無敵の強さを誇る。松山西中を経て、新田高2年の時にインターハイ73キロ級で優勝。翌年(07年)、ロシアジュニア国際を制し、シニアの大会でも講道館杯で準優勝を収める。東海大学進学後は、09年、10年と学生体重別を連覇。10年には3度目の決勝進出で講道館杯を初制覇。その余勢を駆って、同年12月のグランドスラム東京、11年2月のグランドスラムパリに連勝。IJFランキングで一気にトップ10入りを果たし、ロンドン五輪の代表争いに名乗りを上げている。



(石田洋之)
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