3月、未曾有の大災害が起こり、東北や関東地方を中心に大きな爪痕を残した。被災された人々の心の傷が未だ癒えぬ中、私たちに何ができるのだろうか。
 愛媛FCの選手たちは、被災地復興支援のため義援金募金活動を行うべく、心をひとつにして立ち上がったのである。
(写真:選手たちによる義援金募金活動)
 3月20日(日)、愛媛FC選手会の主催による義援金募金活動やチャリティーオークションが行われた。
 まずは、松山市内いよてつ高島屋前の坊っちゃん広場を拠点に、銀天街や大街道などの街頭へと選手やスタッフたちが散らばり、義援金を募る活動を行った。私たちサポーターも事前に活動への参加を表明し、ささやかながらお手伝いさせて頂いた。

「愛媛の想いを被災地へ届けましょう。義援金募金へ、ご協力を御願い致します。」
 街行く人々へ協力を呼び掛ける中、たくさんの人々が活動への理解を示してくれて、募金に快く協力して下さった。約1時間30分ほどの短い時間ではあったが、愛媛で暮らす皆さんの温かな心が感じられ、思わず感動を覚えた街頭での活動であった。
 
 同日の夕方からは、松前町にあるエミフルMASAKIへ場所を移動し、同じく義援金募金活動を行いながら、チャリティーオークションのイベントへ参加した。チャリティーオークションでは、ユニフォームやシューズなど、選手個人の私物が多数出品されおり、選手たちのイベントへ賭ける熱い想いも伝わってきた。

 昨シーズンまでの10年間、ベガルタ仙台でプレーしていたGK萩原達郎選手は、家にある自分のユニフォームを全部、この日のオークションに出品してしまったそうだ。それぞれの品に、大切な思い出があるはずだが、本人は「ユニフォームは、全て無くなりましたが、僕の思い出は、いつまでも心の中にとっておきます」と、昨年まで御世話になっていた被災地の復興のため、出品した物を役立て欲しいという願いや、その胸中を語っていた。
 
 今回、自らの意志で支援に向けて立ち上がった愛媛FCの選手たち。本当に誇らしく思うし、その気持ちに呼応して協力して下さった愛媛の人々には、感謝の気持ちでいっぱいである。
 
 
 サッカーを通じ、世界中に支援の輪が広がりを見せる中、4月2日(土)、愛媛FCのホームスタジアム(ニンジニアスタジアム)では、中四国のJ2クラブ4チームが集い、「東日本大震災復興支援・中四国J2クラブ合同チャリティーマッチ」が開催された。
 第1試合は愛媛FC対ファジアーノ岡山、第2試合はガイナーレ鳥取対徳島ヴォルティスという組み合わせ。公式戦ではないが、皆に元気や勇気を与えるようなプレーを是非とも見せて欲しい。
(写真:チャリティーマッチ、ゴール前での攻防)
 
 第1試合の試合前、愛媛FCサポーターは、皆でチカラをひとつにするべく「ニッポン! ニッポン!」のコールを唄った。また被災地へ届けとばかりに、「ベガルタ仙台! ゴー! 行くぞ仙台〜!」とベガルタ仙台の「twisted」というチャントを大合唱し、想いを訴えた。

 試合は、白熱した好ゲームとなった。細かなパスを繋げつつ、敵ゴールへと積極的にボールを進める愛媛。対する岡山は、ロングフィードやカウンター攻撃などを駆使して攻め立てる。一進一退の攻防は試合終了まで続くが、両チームとも決定力を欠き、最終スコア0−0の引き分けに終わった。

 モチベーションを保ちづらい状況の下、両クラブの選手とも気持ちのこもった素晴らしいゲームを展開してくれたと思う。
 試合終了後、サポーターからは健闘を称える温かな拍手や歓声が、両クラブへと惜しみなく送られていた。
 
 このような機会を経て、改めてサッカーの持つ、偉大なパワーを感じることができる今日この頃。広く集められた大きな支援のチカラが、うまく被災地や被災された方々の元に届き、有効に活用されることを切に願って止まない。
 
※3月20日に集められた義援金募金やチャリティーオークションでの物品の売上金、また4月2日に開催された「東日本大震災復興支援・中四国J2クラブ合同チャリティーマッチ」でのチケットの売上金は、日本赤十字社へ義援金として寄付され、被災地の支援に充てられます。

松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール
 1967年5月14日生まれ、愛媛県松山市出身。
 愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。
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