いまから28年前、東海大学を休学してスペインに渡っていた“天才児”と呼ばれた男は、耳にタコができるほどに聞かれたそうだ。
「なぜバルセロナに?」
 サービス精神が旺盛な彼は、決して「日本人の知り合いがいたから」という本当の理由を口にしようとはせず、いかにクライフのサッカーが魅力的か、バルセロナのサッカーに将来性があるかを力説したという。
 彼に遅れること7年後、同じ街に留学したわたしも同じ質問を受けまくり、同じ答えを口にし続けた。ただ、そうした答えが、相手側に一定の満足感をもたらしつつ、社交辞令であることを悟られているなと感じることも多々あった。確かにバルセロナとクライフのサッカーは魅力的ではあったものの、当時、世界のサッカーがイタリアを中心に回っていることは、カタルーニャ人もよくわかっていたからである。
 いまや、サッカーのためにバルセロナに留学する日本人は少しも珍しい存在ではなくなった。そして、彼らはほとんど聞かれなくなったはずである。
「なぜバルセロナに?」

 2強だけが異常に突出した現在のスペイン・リーグが、世界最高峰のリーグと呼べるかどうかは微妙なところである。だが、バルセロナというチームが、世界的かつ絶対的な地位を築いたことだけは間違いない。魅力的な建築物が数多くある一方で、スペイン語圏の中では嫌われることも多かったバルセロナという街、人は、世界中から羨望の眼差しを受けるようになり、当事者たちは、それを当然と考えるようになった。一つのサッカーチームが、たった四半世紀にも満たない時間でそれだけのことをやってのけたのである。
「幾分内向的で、しかし勤勉。そうした気質が、育成システムを構築していくうえで適していると思った」
 バルセロナにアヤックス型の育成システムを持ち込んだ理由を、ヨハン・クライフはそう語っている。バルセロナで生まれたわけではないシステムは、しかし、アムステルダムよりもはるかに大きな成功を生み出した。

 スコア以上に差のあったことしの欧州CL決勝は、もはや、対策だけではバルセロナを倒すのが難しいということを満天下に知らしめる一戦となった。大金を払って選手を買ってきても、統一した哲学を持ったチームにはかなわない、ということだ。
 だが、21世紀のいまから仰ぎ見れば気が遠くなるほどの高みに立つバルセロナも、ほんの十数年前まで、外国人が憧れてくれる理由を地元の人間が知りたがるチームだった。幾分内向的で、しかし勤勉な地域であれば、22世紀までにバルサを凌駕することは、十分可能なはずである。

<この原稿は11年6月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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