もう5年ほど前になるか、就任したばかりだった当時の犬飼・日本サッカー協会会長が嘆いていたことを思い出す。
「日本のサッカー界にはね、スタジアム力が欠けているんですよ。その存在だけで、観客を引きつけるようなスタジアムがね」
 まったくもって同感だった。02年のW杯を機に、確かに日本にも巨大なスタジアムはいくつか誕生した。だが、試合を見ることだけでなく、そこに足を運ぶだけで目的となりうるようなスタジアムは一つも生まれなかった。新しいスタジアムは古くなるが、いいスタジアムは古くならない。ドルトムントのベストファーレン(ジグナル・イドゥナ・パーク)やミラノのサンシーロ(ジュゼッペ・メアッツァ)、バルセロナのカンプ・ノウに足を踏み入れるたびにそう感じたものだが、同様の感慨を日本で覚えたことは一度もない。
 しかも、いまや欧州のスタジアムは新たな次元に足を踏み入れつつある。

 先月末にCL決勝が行われたロンドンのウェンブリーは、イングランド・サッカーにとって“聖地”とも言うべきスタジアムだが、ある意味でイングランド・サッカーの伝統を真っ向から否定したようなスタジアムでもあった。
 というのも、かつて英国におけるサッカーと言えば労働者階級のものと相場は決まっていたが、新しいウェンブリーは、サッカー場というより、F1のパドックをスタジアムに併設したような、言ってみれば世界のセレブが訪れることを前提とした設計になっていたからである。外殻部分が高級ホテル、内部が巨大スタジアム、とでも言えようか。

 CLが単なる欧州の一サッカー大会から、世界中からの注目を集める巨大イベントへと変化しつつあるのは実感していたが、それでも、昨年まではスタジアムの周囲にテント村的なパドックを作り、そこにファンを集めるというやり方がとられていた。だが、設計の段階からサッカーを取り巻く環境の変化を織り込んでいたウェンブリーは、20世紀後半あたりから急速に高まりつつあった快適性の追求という点に加え、高級感をあらかじめ内包するスタジアムになっていた。

 5年前、この世にまだ新しいウェンブリーは誕生していなかった。にもかかわらず、日本のスタジアム力の低さは隠せずにいた。今後、世界のスタジアムの潮流はウェンブリー的なものへと傾いていくことだろう。“いいスタジアム”を造ろうとしなかった、そして造ろうとしていない日本との差は、どんどん広がっていくばかりである。W杯の開催は、夢のまた夢となっていく。

<この原稿は11年6月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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