垣田真穂(早稲田大学自転車部&チーム楽天Kドリームス/愛媛・松山学院高校出身)最終回「叶えた夢と、敵わなかった力」
2023年春、早稲田大学に入学した垣田真穂は拠点を静岡県に移した。1933年創部の同大自転車部の拠点は埼玉県所沢市にも関わらず、なぜ垣田は静岡に向かったのか――。それは松山学院高校卒業前に、日本自転車競技連盟(JCF)強化指定のジュニアを“卒業”し、エリートに繰り上がっていたからだ。そして静岡には自転車競技におけるナショナルチームの練習拠点・日本サイクルスポーツセンターがあるからだ。

(写真:©公益財団法人JKA/Shutaro Mochizuki)
日本代表する選手たちに囲まれてトレーニングに励む日々。ジュニアからエリートに上がったばかりの垣田は、高いレベルに戸惑うことはなかったのか。
「それを覚悟した上で入りましたし、ずっとオリンピックをチームで目指してやってきたから、そんなことは気にしている暇はありませんでした。ただひたすらガムシャラについていっていました」
自転車競技に転向したばかりの頃はロサンゼルスオリンピック出場を視野に入れていたが、この時は状況が変わっていた。垣田にとって“追い風”となったのが2020年12月の国際自転車競技連合(UCI)による発表だ。パリ大会から出場選手数を男女同数に変更。トラック競技の女子は91人から95人に増えた。自ずとオリンピック出場枠も広がり、東京大会では1チーム4人で戦うチームパシュート出場枠を逃した日本チームに、そこにチャレンジする垣田自身にとっても、パリ行きの道が開けたのだった。
彼女が主戦場とするトラックの中長距離で、オリンピック種目はチームパシュート、マディソン、オムニアムの3つ。チームパシュートは4人1組のチームで4kmを走る。空気抵抗を減らすため一直線の陳列で先頭交代しながら進む。マディソンは2人1組で行う。10周ごとに設けられたポイント周回を4位までに通過するなどしてポイントを獲得できる。合計獲得ポイントで勝敗が決まる。オムニアムは1日に4種目(スクラッチ、テンポレース、エリミネーション、ポイントレース)を行い、総合点で順位が決まる。
「もう大変でした。その時は慣れない環境で慣れない種目、ギアやバイクも。慣れないことを一生懸命こなしながら、海外を転戦していました。海外遠征も全然慣れていなかったので、1試合1試合終わるたびに、メチャメチャ疲れていましたね。でもすぐに次の大会が来る。また、その大会が全部(オリンピックランキングのために)大事な大会。今振り返ると、本当にあっという間でした」
切符獲りのレース連続は、その重圧も少なくなかろう。本人は「プレッシャーがきついというよりは、ただガムシャラに1レース1レースを走っていました。必死に過ごしていました」と振り返る。垣田は内野艶和(楽天Kドリームス)とマディソンのペアを組み、チームパシュートでは内野に加え、池田瑞紀(早稲田大学&チーム楽天Kドリームス)、梶原未悠(TEAM YUMI)たちとレースに臨んだ。
パリ行きの切符を掴むには、世界選手権(23年)、大陸選手権(過去2大会のベスト)に加え、年に数戦行われるUCIトラックネーションズカップの結果(ベスト順位2つ)がポイントの対象となる。これらのレースを垣田はじめ、日本代表は突き進んでいった。
“次は絶対にメダルを獲ってやる!”
パリオリンピックイヤーの24年、垣田の才能は芽吹き始める。アジア選手権では出場3種目(個人パシュート、マディソン、チームパシュート)で金メダルを獲得した。チームパシュートはオリンピックランキングのボーダーラインとなる10位を争う中国と決勝で直接対決。垣田ら日本は日本&アジア記録を4秒以上塗り替える4分14秒254で中国を下した。
「アジア選手権で中国に勝った時、正式発表ではありませんでしたが、ほぼ確定となりました。オリンピック出場を目指し、ひたすら頑張ってきたので勝った時はホッとしました。正直、実感は湧かなかった。ただオリンピックは小さい頃からの夢の舞台だったので楽しみでワクワクしていました」

(写真:©公益財団法人JKA/Shutaro Mochizuki)
4月中旬、選考レースは終了。正式に日本の出場枠獲得が決まった。垣田はパリオリンピック日本代表としてマディソンとチームパシュート2種目の出場が決まった。迎えたパリオリンピック本番。会場はヴェロドローム・ド・サン・カンタン・アン・イヴリーヌで行われた。
「オリンピックは小さい頃からの夢の、憧れの舞台。走る前は本当に楽しみで、“この舞台に立てるんだ”という実感がだんだん湧いてきた。もう興奮し過ぎて、逆になんかもう気持ちが抑えられないような感じでした。いつもはウォーミングアップ中、アップテンポの音楽を聴くのですが、パリでは悲しい曲を聴いて心を落ち着かせていました」
昂る気持ちを抑えられないほどの夢舞台。しかし結果は厳しいものとなった。マディソンで15組中12位。チームパシュートは10チーム中最下位の予選落ちだった。
「メチャメチャ力の差を感じました。大会前のネーションズカップ(第2戦)のマディソンで優勝し、自信を持っていた部分もありました。でも実際に走ってみると、レベルが違った。私個人としても落車したり、全然うまくいかなかった。だからこそ走り終わった後、“もう次は絶対にメダルを獲ってやる!”という気持ちが強くなりました」
感じたのは脚力や走力といった実力差だけにとどまらない。
「走っていて、他の選手はこれまでの長い歳月、この日のために命を懸けて練習してきたということがメチャメチャ伝わってきました。私自身、強い気持ちで臨んだつもりだったんですが、走り終えた後、その気持ちがまだ足りなかったのかな、と」
垣田は競技を本格的に始め、わずか4年半で、オリンピック出場という夢を叶えたわけだが、負けず嫌いの彼女が歩みを止めるつもりはさらさらない。パリからロサンゼルスまでの4年間を垣田は「長くない」と捉えている。
「いろいろ成長していかないといけない。私は高校を卒業してすぐにパリオリンピックのポイント獲得が始まり、1年半くらいで出場が決まった。その1年半でさえ、自分の中でメチャメチャ短く感じました。気が付いたら1年なんて、あっという間に経つ。しっかりと1日1日を大切に、自分のするべきことを明確にして取り組んでいかないといけないと思っています」
ロサンゼルスオリンピックでのメダル獲得という夢を実現するため、垣田はペダルを漕ぎ続ける。トラック、ロードの二本道。後ろ向きにはならない。世界へと飛び出し、自らの覚悟と実力を示すつもりだ。
(おわり)
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<垣田真穂(かきた・まほ)プロフィール>
2004年12月14日、福岡・北九州市出身。小学2年からサッカーを始める。小学5年時に福岡県のタレント発掘事業に参加。中学ではジャパン・ライジング・スター・プロジェクト(J-STARプロジェクト)で自転車競技の才能を見出され、松山城南(現・松山学院)高校進学から本格的に競技を転身した。全国高校選抜大会や全国高校総合体育大会(インターハイ)など数々のタイトルを獲得。2022年はジュニアカテゴリのアジア選手権でも優勝。23年春に早稲田大学に進学。日本代表のエリート。24年にアジア選手権で3冠を達成。パリオリンピックは2種目(チームパシュート、マディソン)に出場した。2024全日本トラック選手権で5冠を達成。イタリアのUCIコンチネンタルチーム「BePink-Bongioanni」(ビーピンク・ボンジョアンニ)。身長167cm。好きな食べ物は母親が味付けをし、父親が揚げる鶏の唐揚げ。
(文/杉浦泰介、写真/©公益財団法人JKA/Shutaro Mochizuki)