2011年は大阪桐蔭高校出身者が熱い。パ・リーグでは中田翔(北海道日本ハム)、浅村栄斗(埼玉西武)、セ・リーグでは平田良介(中日)、そして海の向こうでは西岡剛(ツインズ)が華々しいプレーで観客を沸かせている。彼らが3年間、泥まみれになって白球を追い続けたグラウンドで、この男もまた野球の礎を築いた。福島由登。今から3年前の夏、常葉菊川との決勝戦で、松坂大輔(横浜)以来となる完封勝ちを収めたエースだ。
「オレ、高校は絶対に県外に行く」
 福島は中学1年の時から親にそう宣言していた。その頃の福島には地元の高校に魅力を感じることができなかったのだ。
「今考えると、よっぽど自分に自信があったんだと思います(笑)」

 そんな福島が大阪桐蔭に憧れを抱いたのは中学3年の夏だった。
「うわぁ、すごい! オレもこんな強いところでやりたいなぁ」
 当時の大阪桐蔭はエース辻内崇伸(巨人)と4番・平田を擁し、その年の優勝候補の筆頭に挙げられていた。辻内が初戦の春日部共栄(埼玉)戦で当時の新記録となる156キロをマークしたかと思えば、平田は準々決勝の東北(宮城)戦で清原和博(PL学園)以来となる1試合3本塁打を放った。結局、準決勝で敗れたものの、福島はそんな2人の怪物がいた大阪桐蔭の豪快な野球の虜となっていた。「大阪桐蔭で野球をやりたい」。福島の気持ちが固まった。

 親友との出会い

 中学3年の時、初めて大阪桐蔭の練習に訪れた福島が、最も驚いたのは中田翔の体格の良さだった。当時1年生ながら夏の甲子園では5番を打った中田は、50人ほどの部員の中でもひときわ目立っていた。「うわぁ、あれで1年生か……。やっぱり迫力あるな」。中田のオーラに福島は度肝を抜かされた。とはいえ、自信を失うことはなかった。「よし、自分もここでやれる」。そう信じて疑わなかった。

 翌春、福島は晴れて大阪桐蔭の野球部員となった。入学前、遠方からの選手は一足早く寮に入ることになった。福島を入れて4人が数日間、同部屋で過ごした。なかでも福島と最も気が合ったのは福岡県から来た奥村翔馬だった。全員が揃い、改めて寮の部屋割りがされると、福島と奥村は別々の部屋になった。だが、やはり一番リラックスでき、波長が合うのは福島にとっては奥村であり、奥村にとっては福島だった。例えば、お互いに故障で悩んでいる時などは、あえてそのことに触れなかった。同じピッチャーとして、相手が辛いのは手に取るようにわかる。だからこそ、たわいのない話をした。故障をしていた方はそれがありがたかった。口に出さなくても、自然と相手を思いやることができる。そんな居心地のよさが2人にはあった。

 野球においても彼らは互いを認め合っていた。奥村は速球派のピッチャーで、球の速さには自信をもっていた。初めてキャッチボールをした際、福島は彼の強肩ぶりに驚いたという。
「同じ1年なのに、すごい肩やな、と思ったのを覚えていますね」
 一方、奥村も福島の素質の高さを感じていた。
「確かに僕は力はありました。福島にもスピードなら絶対に負けないという自信があった。でも、彼は僕にないものを持っていた。コントロールもよかったし、バッターへのタイミングのずらし方なんか抜群でしたよ。1年の頃から既にピッチャーに必要なテクニックがありましたね」

 グラウンド外ではほとんど野球の話をしなかったという彼らだが、入学直後に交わした約束があった。
「オレたち2人でWエースになって、投手陣を引っ張っていこうや」
 2年後、彼らはまさにWエースとなり、偉業を達成することになる。

 初めて知った恐怖感

 福島が初めてベンチ入りを果たしたのは1年の秋だ。3年生が引退し、新チームとなって初めてのオープン戦、福島はいきなり先発を命じられた。他にもピッチャーがいる中での抜擢に福島は「よし、アピールするチャンスだ」と感じた。結果は5回を投げて無安打無失点。完璧なピッチングだった。

 公式戦デビューは秋の大阪大会3回戦。公立の香里丘高戦での先発を任された。さすがの福島もその日は緊張していた。ベンチへと向かう際、大事なスパイクを持たずに移動してしまったのだ。
「いつもはそんなミスしないのに、相当緊張していたんでしょうね(笑)」
 ところが、試合が始まると、その緊張は集中力にかわった。3回を投げて無安打無失点。4回からリリーフした奥村も無失点に抑えた。

 一方、打線は初回から中田翔が2回戦に続く本塁打を放つなど、猛打をふるった。福島も初打席で高校第1号の本塁打をマーク。結局、終わってみれば16−0で5回コールド勝ち。そして4回戦でも福島は、逆転されて1点ビハインドとなった5回無死二、三塁の場面でリリーフをし、ピンチを切り抜けると、最後まで無安打無失点に抑えてチームの勝利に貢献した。ここまでオープン戦を含め、福島は失点はもちろん、ヒットも一本も許さない完璧なピッチングを続けていた。

 しかし、野球はそう甘くはない。秋の大阪大会、準々決勝の相手は翌年の夏、甲子園の切符をかけて大阪大会決勝で戦うことになる金光大阪だった。初回こそ0に抑えた福島だったが、2回、金光大阪打線につかまった。投げる球、投げる球、相手打者にきれいに弾き返された。その回だけで4失点。福島は初めて投げることへの怖さを感じた。

(第2回につづく)

福島由登(ふくしま・ゆうと)プロフィール>
1990年5月20日、徳島県生まれ。小学1年から野球を始め、中学時代は徳島ホークス(ヤングリーグ)に所属。中学3年時には全国大会に出場した。大阪桐蔭高では1年秋からベンチ入りし、2年春の選抜では甲子園で2度のマウンドを経験した。3年夏には決勝に進出し、98年の松坂大輔(横浜)以来となる完封勝ちを収め、17年ぶり2度目の全国制覇に貢献した。2009年、青山学院大に進学し、現在はチームの主力として活躍している。178センチ、78キロ。右投右打。







(斎藤寿子)
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