近年、日本人の躍進が目覚ましいサイクルロードレース界。ここでまたひとつ新しい快挙が生まれた。オランダのチーム「スキルシマノ」に所属する土井雪広選手が、日本人として初めてスペイン一周レース「ブエルタ・ア・エスパーニャ」に出場、そして完走を果たしたのである。
 このブエルタは、イタリア一周の「ジロ・デ・イタリア」、フランス一周の「ツール・ド・フランス」と並んで世界の3大ステージレースとされており、この3つのレースだけが3週間に渡って行われる「グランツール」と呼ばれるステータスを持っている。ちなみにジロは過去に市川雅敏氏、野寺秀徳氏、そして昨年は新城幸也選手、今年は別府史之選手が完走し計4人の日本人完走者がいる。ツールは、96年に今中大介氏が初出場を果たすものの途中リタイア。しかしこの3年の間に、新城、別府が見事に完走を果たし、日本のファンを喜ばせてくれた。そんな中でこのブエルタだけは日本選手にチャンスがなく、いまだかつて出場できた選手すらいなかった。今回、そのブエルタの舞台に初めて日本選手が立っただけでなく、チームの役割をこなしながら見事に完走を果たしたのである。

 土井は、ヨーロッパ生活7年目。高校時代からその非凡なる才能は誰もが認めるものがあったものの、同年齢の別府の影に隠れがちだった。プロになってからも新城の活躍でどうしても注目されることが少なかった。ところが今回、別府、新城をさしおいて日本人として初出場。しかも完走という予想以上の活躍を見せ、一躍、スポットライトを浴びる存在に躍り出たという訳である。ようやく大舞台の最前列に出てきた土井だが、ここまでは苦労の連続だった。なかでも今年4月のレース中に落車して膝を骨折し、まったく自転車に乗れない時期はかなり辛かったという。「シーズン前半が好調だっただけに、すべての努力が消え、正直何とも言い難い悔しい気持ちでした」。その悔しさが影響してか、いつもは頻繁に更新されるブログが骨折の診断後、2カ月近く途絶えていた。その後、地道なリハビリを積み重ね、レース活動に復帰したのは4カ月後。

 そして復帰2戦目のレースで好調さをアピールし、チーム内でのブエルタに出場できる枠をギリギリで勝ち取った。「日本企業のシマノがチームスポンサーであるため、日本人の土井が選ばれたのでは?」という批判めいた世論もなかった訳ではないが、彼は自分の脚でその実力を証明して見せた。チームのエースのために集団を引く姿、第6ステージでは逃げにも乗る活躍。ただ出場しただけではなく、チームのために走る姿は連日J SPORTSを通して日本のファンに披露された。また、レース期間中にも関わらず頻繁にブログを更新し、その心境やレースの舞台裏の様子などを報告していたこともファンを喜ばせた。
(写真:集団を先頭で引っ張る土井)

 さて、彼の活躍で沸いた日本の自転車界ではあるが、今回の対応は明らかに数年前と大きく異なっていた。10〜15年前、今中氏や野寺氏がグランツールに出場していた当時は、日本選手がそこで走っていることが奇跡のような出来事で、素晴らしいニュースだった。それが、新城、別府がグランツールで活躍したお陰で、日本選手が結果を残すことを期待するようになった。そう、出場することが目標の時代から、出てチームにどれだけ貢献できるのかを問われる時代になったのだ。それだけ2人の活躍は画期的なことで、我々の常識をすっかり変えてしまった。そのため、今回の土井の活躍は驚きというより、素直に嬉しいニュース。もしこれが別府、新城の活躍以前であったなら大きな驚きとなっていたに違いない。

 そして彼らの活躍はファンだけではなく、自転車界にも大きな影響を与えてくれているのではないかと期待している。つまり今までは日本選手の夢は「グランツールに出場すること。これこそが最終ゴールだ」という感じだったのだが、「グランツールで活躍することが夢」というように移行しているように思うのだ。それはただ1人のスター選手の登場だけで生まれる感覚ではなく、国内から何人ものスター選手が出始めているからこそ生まれる感覚だ。「日本人だって活躍できるのだ」という感情が生まれるのも不思議ではない。この影響もあるのか近年は学生自転車界のレベルアップが目覚ましく、個人的にはかなり今後に期待している。もちろん、学生競技団体の努力があってこそなのだが、先輩たちの活躍が彼らの意識改革に役立っていることは間違いないだろう。
(写真:厳しい山岳コースに挑む土井)


 土井の快挙によりますます勢いづく日本自転車界。近い将来、グランツールでの日本人のステージ優勝なんてことが起きるかもしれない。いや、それは彼らなら意外とあっさりと達成してしまうのかもしれないと、勝手な妄想が膨らむばかりである。

(photo:Kei Tsuji)

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)が発売中。
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