篠原颯斗(日本体育大学硬式野球部/徳島県美馬市出身)最終回「4年越しの夢へ」
プロ志望の篠原颯斗(現・日本体育大学4年)だが、徳島県立池田高校3年時にはプロ志望届を提出しなかった。プロ志望届は、2004年に制度化されて以降、NPB球団入りを目指す日本の学生が、所属する連盟に提出しなくてはならない届出書類である。高校生、大学生はこの届出を提出しない限りは、NPBドラフト会議で指名されることはないのだ。
高校3年時の篠原は、全くの無名という存在ではなかった。NPB球団のスカウトは池田の練習、そして彼の登板試合に視察に来ていたほどだ。では、なぜ篠原は志望届を出さなかったのか? 本人はこう理由を明かす。
「進学する可能性のあった大学に返事をするリミットの時期に試合がありました。井上(力)監督とは『その試合で完璧に抑えたら、志望届を出してもいい』と話をしていました。その試合、勝つには勝ったんですが、全くダメな内容でした。思い通りのピッチングができなかった。その時点で、高卒のプロ入りを諦めようと。井上監督からは『大学で4年間やって上位で入った方がいいんじゃないか』ということも言っていただいた」
徳島県高校総体協賛野球ブロック大会・西部ブロック2回戦、川島戦に先発登板した篠原は、延長10回を投げ切った。完投勝ちしたとはいえ、6失点。胸を張って「プロに行きます」とは言えない出来だった。返事を待ってもらっていた大学とは、NPB選手を多数輩出する日本体育大学だ。
「下位や育成で指名されて3年で徳島に帰ってくるとか、想像したくないですけど、最悪のケースも考えないといけない。高卒3年で帰ってきて何も残らないより、大学に進むことの方が自分の将来のためになると思い、大学行きを選びました」
当時の思いを井上にも振り返ってもらった。
「私の評価では、もし指名されるなら育成枠ぐらいだと思っていました。スカウトの方たちとコミュニケーションを取った感じでも上位指名はないな、と。篠原に『オマエが力を付けるなら4年後でも問題はないし、本当に力があるなら4年後勝負できるはずだ』とはよく話していました。大学は篠原のことを大事に育ててくれて、彼にフィットするところに進んでほしいと思っていました」
当時の日体大は首都大学野球リーグ1部で、東海大学に次ぐ2位の優勝回数24を誇った。2017年には松本航(現・埼玉西武)と東妻勇輔(現・千葉ロッテ)のダブルエースを擁し、神宮大会で日本一に輝いている。パ・リーグでセーブ王に輝いたこともある、元メジャーリーガーの小林雅英もOB。現日体大の投手コーチ・辻孟彦は、中日にドラフト4位指名され、NPB球団入りした。
選手は全国から集まる。篠原の同期は選抜高校野球大会(センバツ)優勝校の東海大相模から門馬功、夏の全国高校選手権大会制覇の智弁和歌山から伊藤大稀が入学。投手は伊藤のほか、大阪桐蔭の関戸康介らがいた。
「関戸のボールを見たとき、“やっぱり違うな”と感じました。球速では勝てない。では、どこで勝負するんだと自分自身で考えることができました。そういう面で、同級生のレベルが高いと、自分の向上心にも繋がる。誰かと比較して気持ちが落ちるとかはなかったですね」
3学年上には、のちに北海道日本ハム入りする矢澤宏太、1学年上にはオリックス入りする寺西成騎らがおり、投手陣の一角に入ることは容易でなかった。NPB入り選手を育ててきたコーチの辻は、篠原によれば「僕たちにチャンスをくれた」という。
「ピッチャー全員が投げられるように回してくれる。下級生のうちからシートノックだったり、紅白戦だったり、実践で投げさせてくれる場面を多くつくってくださった。評価してもらえるところがたくさんあり、そこをモチベーションに頑張れました」
3年秋の覚醒
2年時の春にはベンチ入り。春は先発で3試合、秋はリリーフで3試合といずれも1勝ずつ挙げた。学年が上がるにつれ、首脳陣の期待も高まっていった。
しかし3年時、春先のケガで出遅れ、登板機会は2週目に入ってから4試合にリリーフ登板したが、篠原は「ピンチで行って打たれたり、あまり自分自身、チームに貢献できなかった」と振り返る。このシーズン、日体大はまさかの5位。22年秋から続いて連続優勝も3季で途切れた。
この頃は感情のベクトルが「自分に」ばかり向いていたという。
「春、結果が出なかったのもそこにあると思っています。自分のことばかりで、“自分の調子を上げたい”“自分がいいピッチングをしたい”、そういうことばかり考えていました。秋のシーズンが始まる前、古城(隆利)監督から『夏のオープン戦で、チームが勝つために投げてほしい』と言われました。そこから考え方が変わった。自分の調子が良かろうが悪かろうが、チームが勝つためにどうしたらいいかを考えるようになりました」
ある日のオープン戦で三振を取って吠えるシーンがあり、古城監督がたしなめたという。次期エースとしての期待、いち人間としても成長して欲しいとの親心もあったのだろう。
そして秋に大器は花開こうする。桜美林大学戦第2試合から先発を任されると、勝ち星こそ付かなかったが8回1失点で好投した。筑波大学戦では8回無失点、8回1失点で連勝。東海大学戦でも8回途中無失点で勝利投手となり、チームの勝ち点獲得に貢献した。帝京大学戦は5回無失点で勝ち負けつかず。そしてリーグ最終登板は城西大学2試合目の先発マウンドに上がった、
勝てば優勝、この試合に負けて連敗すれば4位転落もあり得た。プレッシャーのかかる一戦で篠原は、見事期待に応えてみせたのだ。低めに集める丁寧なピッチングで、4安打7奪三振、9回を1人で投げ抜いた。「この緊張感の中、見事なピッチングができた1週間というのは、すごく充実していたと思うし、彼の中で成長が見えたんじゃないかな」とはコーチの辻の談だ。篠原はここ一番で、大学公式戦における初の完投&完封。このシーズン4勝0敗、防御率0.40で最優秀投手、ベストナインに輝いた。冬には大学日本代表の候補合宿にも呼ばれた。
そして迎えた最終学年の春季リーグはここまで(4月28日現在)、4試合に登板し、2勝1敗、防御率2.25。開幕前に話を聞いた時は「18番を背負う以上は5勝では少ないと思っている。もっともっと勝てるように頑張りたい」と口にしていたが、まだ他を圧倒するようなピッチングはできていない。目標である「ドラフト1位でプロに入る」ためには、もっとアピールが必要になろう。
それでは篠原が描く未来像は――。
「高校の井上監督に『プロに入る時は全員が入団会見してもらえるが、引退会見や引退セレモニーをやっていただけるのは限られた選手だけ。そういうことをやってもらえるような選手になりなさい』と言っていただいた。それがひとつの目標です。引退セレモニーをやってもらえるということは、結果を残しているからこそであり、人間的にしても認められた選手のはず。長く野球をやり、引退セレモニーをやってもらえるような選手になりたいです」
4年前は出さなかったプロ志望届。プロでは先発でもリリーフでも、球団にもこだわりはないという。4年越しの夢は叶うのか。実りの秋を迎えたい。
(おわり)
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<篠原颯斗(しのはら・はやと)プロフィール>
2003年11月24日、徳島県美馬市生まれ。江原南小3年時から軟式の野球を始める。江原中時代は軟式野球部に所属。池田高では1年秋からベンチ入り。3年夏はエースとして、県大会ベスト4に導くも、甲子園出場には届かなかった。日本体育大学入学後は2年春から公式戦デビュー。3年秋には、4勝0敗、防0.40(リーグ1位)とチームのリーグ優勝に貢献し、最優秀投手、ベストナインに輝いた。冬には侍ジャパン大学代表候補合宿に参加した。MAX151kmのストレート、スプリット、スライダー、カーブなどを駆使する右の本格派。身長182cm。右投げ右打ち。背番号18。趣味は映画鑑賞。
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(文・写真/杉浦泰介)