今から50年ほど前の話だ。横綱・大鵬がライバルの柏戸を圧倒し始めると玄人筋から批判が起こった。いわく「大鵬には型がない」
 これに真っ向から反論したのが師匠の二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)だった。「型がないのが、大鵬の型だ」
 型がないよりは得意の型があった方が強いに決まっている。しかし、得意の型がひとつしかなければ、それを封じられれば、もう手の打ちようがない。
 大鵬の場合、型がないのではなく得意の型が無数にあるのだと師匠は言いたかったのだ。
 実際、大鵬は6年前に行ったインタビューで私にこう語った。
「せっかく、ひとつの型ができても、その型にならなければ勝てないというのでは話になりません。その型でしかとれないというのは、本当に強い力士ではない」

 過日、サッカー日本代表監督アルベルト・ザッケローニにインタビューしていて、先の話を思い出した。ザッケローニといえば代名詞は「3−4−3」だ。ウディネーゼを率いていた96−97年シーズン、強豪ユベントス相手に開始早々、一発退場でDFをひとり失う。4−4−2の布陣ゆえ、普通ならFWを一枚落として新たにDFを入れ、4−4−1でしのぐところを、彼は3−4−2で戦った。結果は3−0の完勝。これが「3−4−3」採用のきっかけになったと言われている。

 そこを質すとザッケローニは待ってましたとばかりにこう答えた。
「よく“ザッケローニといえば3−4−3”と判で押したように語る人がいますが、私は“システム先にありき”ではありません。システムというのは選手の能力や特徴を把握した上で構築されるべきものです」
 そして続けた。「私は自分を“異端(アティピコ、atipico)”だと見なしています。基本的に人と同じことをするのが好きではないんです」
 これまでいろいろな指導者にインタビューしてきたが自らを「異端」だと明言したのは彼が初めてである。それは監督になるまでの経歴や常識にとらわれない戦術を例に引くだけでは説明することのできない、もっと奥深く、本質的なものなのだろう。ある意味、サッカーの辺境ともいえるファーイーストからのイノベーション。ロマーニャ人のロマンの行方を見守りたい。

<この原稿は11年10月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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