第141回 さようなら、ミルコ・クロコップ

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 かつて『PRIDE』のリングで活躍したファイターたちが、いま『UFC』の舞台で精彩を欠いている。また、引退をしていく者もいる。何とも淋しい気もするが、時の流れには逆らえないのか。
 10月29日(現地時間)、米国ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターで開催された『UFC137』でミルコ・クロコップ(クロアチア)は敗れ、彼も闘いの舞台を去ることを決意した。
(写真:日本では2008年大晦日の『Dynamite!!』でチェ・ホンマンに勝利したのが最後の試合となった)
「話していたように、このファイトが最後だ。これまで応援してくれて本当にありがとう」
 そう言ってミルコはオクタゴンを後にした。
 昨年9月から『UFC』で3連敗。それもすべてTKO負けである。ファイターとしての限界を感じての引退表明だった。

 今回のロイ・ネルソン(米国)戦を観ながら、ミルコがもはや闘えるコンディションにないことはよくわかった。『PRIDE』のリングで闘っていた頃のように相手にプレッシャーをかけていくことができない。古傷のあるヒザが悪いたけでなく、肉体のバランスも悪く、体幹の力をフルに使える状態にないからだ。相手ではなく、自らの体調を恐れながら闘っているようにみえた。

 15歳の頃にテコンドーを始め、その後、空手、キックボクシングを学び、1996年に『K-1』のリングに初めて上がったミルコは、最終的に総合格闘家となった。彼の幾多の闘いを私は観続けてきたが、最も印象深い試合をひとつ選ぶとすれば、10年前の藤田和之戦になろうか。

 2001年8月19日、『K-1 JAPAN GP』のリングで行われた一戦である。『PRIDE』の人気が爆発していたこの頃、『K-1』も総合格闘技を無視できなくなっていた。そのため、総合格闘技ルールでの試合を組むことになり、キックボクサーのミルコが、プロレス出身の藤田と闘ったのである。この試合がミルコにとっては総合格闘技デビュー戦だった。

 戦前の予想では藤田有利の声が圧倒的に大きかったが、ミルコはアップセットを起こす。試合開始からわずか39秒、タックルに入ってこようとした藤田の額にヒザ蹴りを合わせてTKO勝ちを収めたのだ。

 この時のミルコは、総合格闘家としての技術を、まだほとんど身につけていなかった。それでも会心の一撃を決め、勝利できたのは、彼が持つ「勝負強さ」と恐ろしいほどの「集中力」によるところが大きかったように思う。ミルコ最大の武器は、左ハイキックではなく、類まれなる「勝負度胸」と「集中力」だった。
 
 ヴァンダレイ・シウバ(ブラジル)戦、ジョシュ・バーネット(米国)戦、桜庭和志戦、吉田秀彦戦……総合格闘技のリングでミルコは数多くの名勝負を残している。だが、その中でも「勝負強さ」が光ったという意味で、私は藤田戦が忘れられない。

 さて最後に、10月29日、中国・南京で開催されるはずだった今年の『K-1 WORLD GP 開幕戦』が行なわれなかった。延期と発表されているが、実際には中止との見方が強い。1993年から18年続いた『K-1 GP』の歴史が途絶えるのだとしたら悲しいことである。

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー〜小林繁物語〜』(竹書房)ほか。最新著『キミはもっと速く走れる!』(汐文社)が好評発売中。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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