11月15日は横田めぐみさんが拉致されたとされる日でもあった。そんな日に、日本と北朝鮮がサッカーで対決する。決して少なくはない日本人サポーターが、北朝鮮に入国する。横田さんご夫妻はさぞ複雑な心境だったのではないか、と思う。
 にもかかわらず、横田滋さんは「スポーツと政治は別物」と言い切られた。サッカーに携わる人間の一人として、まずそのことに深謝したい。
 拉致は政治ではなく、犯罪そのものである。「お願いだからあんな国にいかないでくれ」と訴えられたら、サッカー界は大変な苦境に立たされていたことだろう。確かにスポーツと政治は別物だが、スポーツは社会に無関心であってはならない、という一面も持つ。代表選手には、今後、常に拉致被害者の存在を念頭に置いてもらえれば、と思う。

 さて、前日のコラムでわたしは「ホームとアウェーの内容格差が心配」といったことを書いた。ただ、誤解のないように付け加えておくと、これはザッケローニ監督の責任、ではない。ホーム、アウェーに関わらず物足りない試合しかできなかった日本が、少なくともホームでは素晴らしい試合を見せてくれるようになった。それゆえに生じた格差であり、ザッケローニ監督の責任というよりは、むしろ功績と言っていい。

 だが、たとえザッケローニ監督といえども、このままのやり方でアウェーでの内容を向上させるのは難しいだろう。もう十数年以上言われ続けていることだが、日本の場合、代表チームの試合が興行として成り立ってしまうため、どうしてもホームでの試合が増えてしまう傾向がある。しかも、日本の観衆はよほどのことがない限り、選手たちに罵声を浴びせることはしない。日本代表は、いってみれば世界でも例を見ない苦労知らずのお坊ちゃま集団なのである。

 日本代表が稼ぐカネは、日本サッカー協会にとって重要な資金源である。だが、ホームでの試合ばかりを組んできた代償は、確実に日本代表をむしばんでもいる。ザッケローニ監督がかつてないほど大きな目標を掲げている以上、そろそろ今までにない強化方法、マッチメークを考えなければならない時期にきている。

 他国の国歌に怒号を見舞って平然としている平壌の観衆にはあ然とさせられた。異様な雰囲気の試合だったことは間違いない。それでも、決して小さくはなかった実力差をも埋めさせてしまった日本のメンタルが、およそ逞しいとはいえないレベルにあるのも事実である。

<この原稿は11年11月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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