サッカー界にも「沢村賞」的なものが欲しい

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 長嶋茂雄さんが亡くなられてもうすぐひと月になる。メディアを埋めつくすようだった情報の奔流も、ようやく落ち着いてきた。

 

 現役時代の記憶がほとんどなく、掛布雅之さんの背番号「31」は長嶋さんと王貞治さんの背番号からとった、と聞いた時にはいささかガッカリしてしまった人間ではあるが、それでも、長嶋茂雄なくして現在のプロ野球はない、という声に反論するつもりは一切ない。

 

 今回、様々な過去の映像にスポットライトが当たる中で、個人的に印象的だったのは、長嶋さんが巨人の選手としてデビューし、金田正一さんに4三振を食らったという映像だった。

 

 一塁側からカメラに捉えられた長嶋さんの後方には、決して小さくはない空席のスペースがあったのだ。

 

 いまや、プロ野球の開幕戦といえばどこの会場も満員で、まして巨人の、それも超大物ルーキーのデビュー戦ともなれば、スタンドは人であふれ返っていたはずだと勝手に思い込んでいた。

 

 だが、あの映像から察するに、長嶋さんのデビュー当時は、まだプロ野球が「職業野球」と蔑まれ、高校野球や六大学野球に人気の面で後塵を拝していた時代だったのだろう。野球は国民的なスポーツであっても、プロ野球がその象徴的な存在、というわけでは必ずしもなかったのだ。

 

 長嶋さんは、そんなプロ野球を変えた。彼と、巨人という球団と、それを後押しするメディアの力が合わさったことで、プロ野球の立ち位置は変わっていった。

 

 長嶋さんが亡くなられた直後、盟友でもあった張本勲さんが「長嶋賞の設立を」という趣旨のことをおっしゃっていた。大賛成である。長嶋茂雄なくして、いまのプロ野球はない。しかし、時代の流れは、いつしか彼の名前をも忘却の彼方へとおしやっていく。偉大な人物を知る世代には、それを後世に伝えていく義務がある。

 

 実際、日本球界にはすでに「沢村賞」があるし、米国にはデントン・トルー・ヤングの名を冠した「サイ・ヤング賞」がある。ちなみに、「サイ」とは「サイクロン」を略したものであるらしい。もはや現役時代を知る人がほぼ皆無になってからも、彼らの名前は現役世代にとっての憧れであり続けている。

 

 よほどのサッカー・マニア、スペイン・マニアであっても、ラファエル・モレノ・アランサディというアスレティック・ビルバオに所属していたストライカーの名前を知る人は少ないはず。だが、彼の愛称でもあった「ピチーチ」を知らないスペイン人はまずいない。いまから72年前、スポーツ新聞「マルカ」が、腸チフスで夭折した伝説のストライカーの愛称を冠した賞を、そのシーズンの得点王に与えることにしたからである。

 

 リーガエスパニョーラが創設されたのは、1929年のこと。「マルカ」が「ピチーチ賞」を設立したのは、リーグ発足から24年目ということになる。

 

 Jリーグは、発足から30年をすでにすぎている。

 

 紆余曲折はありながらも、日本代表が着実に、しかも継続的に「史上最強」を更新し続けていることもあり、欧州のファンに比べ、日本のファンは過去の世代に対する思い入れがいささか希薄な印象がある。

 

 それが悪い、といいたいわけではない。ただ、どんな暗黒時代にも、現在につながる何かはある。どんな現在も、必ずやどこかの過去にきっかけがある。

 

 そんなわけで、そろそろサッカー界も、「沢村賞」的なものを考える時期に来ているのではないだろうか。なんなら、スポニチが先頭に立ってでも。

 

<この原稿は25年7月3日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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