名言が飛び出したのは北京五輪3位決定戦前のミーティングの場だった。つまり2008年夏のことだ。銅メダルをかけた試合への思いを、先輩から順に口にしていった。程なくして29歳(当時)の澤穂希にスピーチの出番が回ってきた。「ここまで来て、もう何も言うことはありません」。シャイな澤らしい第一声だった。しかし、いつもとはここからが違った。「苦しいのは皆一緒。もし苦しくなったら私の背中を見て。そして、私と一緒に頑張ろうよ」
 ミーティングの輪の中には現在の「なでしこジャパン」の司令塔・宮間あやもいた。当時23歳。澤のスピーチを聞いて胸が震えた。「他のお姉さん方が自分の思いを伝えてくれるなか、澤さんは短い言葉で私たちに直に語りかけてくれた。“私の背中を見て”と。あのスピーチは今でも忘れることができません」

 それ以来、なでしこジャパンの強さの秘密は澤の背中にあるのではないかと私は考えるようになった。求心力、結束力、集中力。澤の「背番号10」は単にその象徴ではない。暗がりを照らす灯台なのだ。そして今、澤穂希という灯台はサッカーのピッチのみならず、国難に見舞われた島国をも照らしている。「希望」という名のメッセージを込めて。

 FIFA年間最優秀選手賞まで獲得した彼女のために、そして世界一になった彼女たちのために、私たちは何ができるのか。今こそ、それを真剣に考えたい。メッシとの2ショットに驚き、称えるだけなら誰でもできる。追い風が吹いている今だからこそ、進めなくてはならない改革がある。

 周知のように女子サッカーを取り巻く環境は依然として厳しく、選手を育成する土壌は痩せている。景気の気紛れに左右されないリーグにするためには、Jクラブへの女子チーム保有を義務付けることが望ましい。実はこれ、Jリーグ創設時の懸案だったと川淵三郎名誉会長から聞いたことがある。

 現在、J1クラブの資格要件として「登録種別の第1種、第2種、第3種および第4種に属するチームを有していること」が義務付けられているが、女子は埒外に置かれている。女子を正式に第5種と定め、なでしこリーグをJリーグ傘下に置くことはできないものか。重荷となるどころか、むしろ相乗効果が期待できる。日本中を勇気付けた、澤の世界一の「背中」に報いるためにも、今度こそ協会の英断を待ちたい。

<この原稿は12年1月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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