大坂谷明里(陸上・棒高跳び選手/愛媛県競技力向上対策本部)第2回「“もっと高く跳びたい”という欲求」

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 兵庫県小野市で生まれた大坂谷明里は、明るく活発な少女時代を過ごした。「親は私が“やりたい”という習い事を自由に通わさせてくれました。クラシックバレエ、英語、ソロバン、習字、茶道、ヨット……」。その彼女が陸上を始めたのは小学4年生になってからだ。

 

 大坂谷が通っていた小野小学校が陸上に熱心だったことが大きかった。「市内の大会に出るため、クラスの全員が練習しないといけなかったんです」。彼女自身、運動は得意だった。地域のマラソン大会は常に上位に入った。校内の運動会ではリレーの選手を任された。当時の種目は、走り高跳びに加え、4×100mリレーの選手も担った。

 

 小野中学校ではサッカー部に入ることも頭をよぎったが、周囲の「陸上を続けた方がいい」との声を受け、陸上を選択した。小野中は大坂谷が在学時、 全国中学校陸上競技選手権大会(全中)の女子4×100mリレーで2連覇するなど陸上の強豪校だ。しかし3連覇を目指した3年時は、大坂谷はメンバー入りできず補欠。個人種目は走り高跳びに加え、四種競技にもチャレンジしたが、こちらも全中出場がかなわなかった。

 

「走り高跳びで全中に行けなかった。“もう高跳びは嫌だ”となり、“もっと高いところを跳びたい”という思いから棒高跳びに挑戦しようと思ったんです」

 中学時代、県大会などで棒高跳びをしている他校の男子部員の姿を見ながら“楽しそう”と思っていた。“もっと高く跳びたい”という欲求から、高校進学後は種目を変えることを心に決めていた。

 

 中学卒業後、兵庫県立社高校に進学した。甲子園出場経験のある硬式野球部をはじめ運動部は盛んだ。陸上部も400mトラックを有す専用陸上競技場があり、環境は充実していた。同校の陸上部に棒高跳びを練習できる環境があると知り、大坂谷は社を選んだのだ。

 

 

 

断られた種目転向

 しかし、同校の陸上部顧問・平野純也は「大坂谷は中学時代、(走り)高跳びをやっていたので、当然高校でも続けるもんだと思っていました」という。平野の専門は走り高跳び。大坂谷の種目転向は寝耳に水だったのだ。

 

 社は男子部こそ全国レベルの強豪だったものの、棒高跳びを専門に教える指導者が校内にいなかったのだ。平野の述懐――。

「大坂谷の1学年上に棒高跳びの男子選手がいた。その子のために棒高跳び用のピットを造りました。その子の父親が棒高跳びの指導を熱心にし、環境を整えていったんです。だから大坂谷はオープンハイスクールの時に“棒高跳びをする環境がある”ことを知った。だけど私は最初、棒高跳びへの転向を認めませんでした」

 

 それはなぜか。「棒高跳びはケガのリスクも少なくない。本気でやらない子には危険だと思ったんです」。平野は大坂谷に「ノー」を突きつけると同時に、あるテストを課した。バク転、バク宙、鉄棒など跳躍種目に必要な運動能力を測ったのだった。

「その場で全部クリアをしたんです。彼女の運動能力の高さにビックリしました。それは他の体育科の男子よりも運動能力が高かった」

 平野が諦めさせるつもりで課したテストを大坂谷は悠々と“跳び越えて”みせた。

 

 大坂谷の熱意と能力を見せつけられた平野は、彼女の希望に応えることにした。「先生はメッチャ苦労されたと思います。前例はないし、そもそも私が使う競技用ポールがなかったので、先生はいろいろな学校の先生に頼み、揃えていただいたんです」と、当時を振り返る大坂谷。平野は知り合いに連絡を取り、彼女が棒高跳びの練習ができるように競技用のポールを集めた。

 

 種目を変えて、すぐにポンポン跳べるほど簡単ではなかった。ただ、その難しさが大坂谷には新鮮で、ワクワクしたという。

「難しいけど楽しかった。今まで学校体育において、あまりできないことがなかった。だからこそ、できないことができていくうれしさが大きかったんです」

 こうして大坂谷の棒高跳び人生がスタートしたのだった。

 

(第3回につづく)
>>第1回はこちら

 

大坂谷明里(おおさかや・あかり)プロフィール>

2002年4月10日、兵庫県小野市出身。小学4年生から陸上を始める。小学生時は走り高跳び、中学生時は走り高跳びと四種競技。社高校で棒高跳びを始める。高校2年時、全国高校総合体育大会(インターハイ)で同種目4位入賞(3m80)。園田学園女子大学進学後は1年時に日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)優勝(4m00)。大学4年時は日本学生陸上競技個人選手権大会で優勝(4m15)。24年の日本選手権では2位(4m10)に入った。25年2月、香川室内跳躍競技会で当時日本歴代10位タイとなる4m20をマークして優勝した。この春から愛媛県競技力向上対策本部に所属し、東京に拠点を移した。アジア選手権では6位入賞(3m98)。日本選手権では自己ベストタイの4m20を記録し、2年連続2位。身長162cm。

 

(文・プロフィール写真/杉浦泰介、競技写真/本人提供)

 

 

 

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