大坂谷明里(陸上・棒高跳び選手/愛媛県競技力向上対策本部)第3回「満足しなかった初の“日本一”」
2018年、兵庫県立社高校で、棒高跳び選手としての歩みをスタートさせた大坂谷明里は、メキメキと力を付けていく。高校2年で全国高校総合体育大会(インターハイ)4位入賞。3m80は自己ベストだったが、大坂谷は「自信になりましたし、“もっと頑張りたい”と思いました」と振り返る。
初の全国大会出場での4位入賞を弾みに、更なる高みを目指したいところだった。しかし彼女が高校3年生のシーズン、2020年は新型コロナウイルス感染が日本全国に広がっていた時期だった。
未曽有のパンデミックによって、大会は軒並み中止、延期。ようやく出場できた全国大会は、2020年10月の新潟・デンカビッグスワンスタジアム行われた日本陸上競技選手権だった。大坂谷の記録は3m60で12位タイに終わった。
「初めてコーチがいない中で(棒高跳びの)試合をしたので、結構パニックになってしまいました」
この大会は本来、6月下旬に大阪(ヤンマースタジアム長居)で開催予定だったが、開催地が新潟に変わり、3カ月以上遅れての実施となっていた。そのため当時、大坂谷の棒高跳びを指導していた外部コーチは、仕事の都合で帯同することができなかった。
支えとなった仲間の存在
社の陸上部顧問・平野純也は、その時のことを強く悔やんでいるという。
「いろいろなコーチがいらっしゃる中で、自分の不甲斐なさを感じました。他の選手はいい指導者、専門のコーチに見てもらえていましたが、大坂谷には専門外の私しかいなかった。そのコーチたちは私の先輩も何人かいて、『もう少し、こうやって指導すれば、もっと上を狙えるのに』と言われ、大坂谷に申し訳ない気持ちになりました」
それでも大坂谷が後ろ向きになることはなかった。「周りの環境が良かったから、今まで続けて来られたんです」。その周りとは高校に限らず、大学進学以降にも当てはまる。2021年春、大坂谷は関西の強豪・園田学園女子大学の門を叩いた。
「同期にメッチャ支えられた。高校の時は、女子1人だったので、同期がいなかった。それに女子が少なかったので、団体戦で出ることも少なく、チームとしての意識が強くなかった。大学は日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)などチーム戦があるので、そこで同期に支えられ、後押しをしてもらいました」
時にライバルにもなった同期の存在が、彼女の背中を押した。
初めての全国タイトルは、園田入学初年度に獲った。9月、埼玉・熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で行われた日本インカレだ。高校時代から凌ぎを削ってきた園田の同期とのマッチレースを制し、初の“日本一”に輝いた。記録はともに4m10を3回失敗し、4m00だったが、試技数の差で、大坂谷に軍配が上がった。
初の全国制覇に「やっと勝てた」と安堵しつつも、大坂谷に満足感はなかった。7月の兵庫県陸上競技選手権でマークした自己ベストは4m10。U20日本記録4m15の更新を狙っていた彼女にとっては、そこに約15cm届かなかったとの感覚の方が近いのだろう。そして日本インカレ4連覇を目指していた彼女にとっては「通過点」だったからだ。
<大坂谷明里(おおさかや・あかり)プロフィール>
2002年4月10日、兵庫県小野市出身。小学4年生から陸上を始める。小学生時は走り高跳び、中学生時は走り高跳びと四種競技。社高校で棒高跳びを始める。高校2年時、全国高校総合体育大会(インターハイ)で同種目4位入賞(3m80)。園田学園女子大学進学後は1年時に日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)優勝(4m00)。大学4年時は日本学生陸上競技個人選手権大会で優勝(4m15)。24年の日本選手権では2位(4m10)に入った。25年2月、香川室内跳躍競技会で当時日本歴代10位タイとなる4m20をマークして優勝した。この春から愛媛県競技力向上対策本部に所属し、東京に拠点を移した。アジア選手権では6位入賞(3m98)。日本選手権では自己ベストタイの4m20を記録し、2年連続2位。身長162cm。
(文・プロフィール写真/杉浦泰介、競技写真/本人提供)

