人は誰でも永久保存しておきたい記憶を一つや二つは持っているものだ。野球観戦において、そういう試合のコレクションが一つ増えた。
 2011年10月29日。パ・リーグのクライマックスシリーズ・ファーストステージ第1戦。埼玉西武−北海道日本ハム戦。ダルビッシュ有の日本最終登板となった試合である。
 改めて、この試合のビデオを観る。
 観るほどに快感のようなものが湧き上がってくる。
 ダルビッシュが振りかぶって、左足を上げて、ステップして、投げる。このリズムが快感を生む。
 今年1月24日に札幌ドームで行なった退団会見のフレーズが思い起こされる。
――自分自身の試合ではどの対戦もどの球も全て全力で投げてきたので、これというのはない。
「どの球も、全て全力投球で」――少なくとも10月29日の西武戦に関して、この言葉に嘘はない。全球全力で投げている。ビシーっと腕を振る。体に巻きつくような軌道で、リリースポイントは、限りなく前、すなわち打者に近い。思わず、「理想的」という言葉がこみあげてくるが、彼のこれまでの道程を考えれば、あまりに安易か。

 この試合は、全球ハイライトシーンと言うべきだが、あえて、中でも印象的な投球を挙げるとしたら、2回表だろう。
 まずは、4番・中村剛也。
?ストレート 外角低目 153キロ ストライク
?スライダー 外角低目 空振り ストライク
 このボールは右打者の外側、横へ大きく曲がって、それて行った。中村もバットを止めようとしたが、スイングをとられてしまった。
横のスライダーが大きく外へ曲がり過ぎるというのは、2009年の第2回WBCの時にも見えた傾向だ。WBCでは見送られてボールになり、苦しむ原因となっていた。
?もう一球スライダー ボール
カウント1ボール2ストライクと追い込んで、さて……。
?真ん中高目にストレート 154キロ 空振り三振!
 この勝負は、2球目のハーフスイングをストライクにとられてしまったところで、終わりである。中村は、嫌でも外のスライダーとストレートを両方意識せざるを得なかった。

 さらには、伏線がある。昨季、レギュラーシーズンの中村vs.ダルビッシュの対戦成績は8打数0安打、5三振である。象徴的なのは、18勝目をあげたペナントレースの最終登板。10月11日の西武戦である。
 この試合、中村は第1、第2打席と、全球ストレートで三振にとられている。中村にはダルビッシュのストレートは打てないのかな。そんな気にさえなる試合だった。
 そして最終回。2アウトから打席の回ってきた中村に対して、1ボール2ストライクと追い込んだダルビッシュは、当然、再びストレートで三振を狙うだろうと思った。誰もが思った、と言っていい。
 ところが……。投げたのはスライダーで、あえなく三振に終わったのでした。
 たぶん、どっちを投げても三振に変わりはなかっただろう。あえてストレートで勝負しなくても、スライダーなら確実に三振が見えているのだからスライダーにしておこう。捕手の大野奨太がそう考えたのか、ダルビッシュ自身の意志かは知らないが、そう見えた。

 おそらくは、この試合の3つの三振が伏線になって、中村は4球目の高目ストレートを空振りしたわけだ。
 中村といえば、昨季、日本球界でひとりだけ別格の長打力を誇示し、ダントツの48本でホームラン王に輝いた打者である。現在の日本最強打者と言ってもいいかもしれない。
 再び、退団会見で有名になったあの言葉。
――なんかフェアな対戦をしていないんじゃないかなという思いがあった。
 別に中村を責めているのではない。10月29日の試合を見直すと、確かに気持ちがいい。なにしろバッタバッタと打者をねじ伏せるのだから。しかし、逆にいえば、西武の打線に「打てる」と感じさせる打者はいない。

 中村に続く5番フェルナンデスの打席にも触れておこう。
 簡単に1ボール2ストライクと追い込んでからの投球である。
?ツーシーム インロー 152キロ ファウル
?ツーシーム インロー 154キロ 見逃し三振!
 この2球のツーシームは何度見てもいい。ほとんどストレートに見えるので、ストレートと言ってもいいのかもしれない。でも、多分、ツーシームだと思う。わずかにシュートがかかって、右打者の内角を襲っていくボール。
 勝負として見応えがあるのは、最初のツーシームである。これをフェルナンデスは食らいついていって思い切りスイングし、ファウルにする。お、もしかして打てるか、フェルナンデス! という気になる。つまり、投手のボールと打者のスイングが対等なレベルでぶつかっている。やや語義はずれているが、彼が会見で使った表現を使えば、「フェアな対戦」が成立している。だからこそ、次も同じ球を投げ、しかもさらに球速が増したのだ。

 ダルビッシュは、見ていて本当に楽しい投手だった。ストレートが常時150キロを超える変化球投手。これは、まさに現代野球における投手の理想型だろう。
―― ストレートはみんなが思っているほど速くないですが、変化球は種類も多いし、いい球をお見せできると思います。
 これはテキサスで行なった会見での言葉だが、自分の本質を突いている(ま、154キロが「思っているほど速くない」かどうかは、微妙だが、少なくともアメリカでは珍しいスピードではない)。彼は、本質的に変化球投手である。それは、すでに東北高校の時代からもっていた、彼の思想だ(逆に、福岡ソフトバンクからオリオールズに行った和田毅は140キロそこそこのストレートを武器にする速球投手という言い方もできる)。

 ただ……。10・29の投球を再生しながら思う。おそらくは、このダルビッシュは見納めなのだろう、と。
 日本野球における投手の理想形まで登り詰めたダルビッシュだが、逆に言えば、日本の風土、環境、ボール……あらゆる条件が今のダルビッシュをつくったのである。
 よく言われるように、アメリカのようにツルツル滑らず、しっとりとした質感のあるボール。マウンド。そういう日本の文化が、彼の今の変化球の曲がりを規定したし、コントロールを与えた。
 メジャーに行けば、メジャー仕様のダルビッシュにならざるを得ない。
 例えば、松井秀喜もそうだった。巨人最終年の松井は、ボールをピンポイントでバットの芯に当て、バットのしなりを生み出して飛ばす技術を身に付けていた。日本のボール、バット、投手などの条件を考えれば、究極に近づきつつあった。
 しかし、メジャーではピンポイントでバットの芯に当てられるボールは少ない。彼のバッティングスタイルは、日本時代の高みから、必然的に変質せざるを得なかった。

 ダルビッシュは、おそらくメジャーの環境にも適応するだろう。15勝はするだろうと思う。
 だが、10・29に見せたような、日本野球の風土・環境が生み出した究極の形からは、徐々に変化していくに違いない。
 我々は、遠からず、昨年目撃した永久保存版のダルビッシュからは別れを告げなければならないのである。

――もともと大阪の羽曳野市で生まれたんですが、野球好きな子供の頃と変わっていない。
 テキサスでの会見で、そう自らを規定してみせた好漢のために、その別れを惜しむ。もしかしたら、これから自ずと変容せざるを得ないことを知りつつ、羽曳野の野球少年であり続けたいという、2つの自己をかかえているのかもしれない。
 ただ、イチローとダルビッシュは、メジャーに行かざるを得なかった。イチローの7年連続首位打者と、ダルビッシュの5年連続防御率1点台という記録は、あまりにも突出している。彼らは別の環境を望まざるを得ない。
 惜別とは言いながら、記憶は手放さないでおきたい。我々はこれから、今季の彼を新たに目撃し直すしかないのだから。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
◎バックナンバーはこちらから