自衛隊で陸上を続ける気持ちはなかったが、国体2位の実績もあり、山中は自衛隊体育学校の試験を受けることになる。ところが、陸上部は女子の採用がなかった。
「近代五種をやってみないか」
 そう声をかけたのが才藤だった。この一言が運命を変えた。
「高校まで陸上をやっていて、水泳の経験もある。近代五種に取り組む女子は日本でも数えるほどしかいません。何とか女子を育てたかったんです」
 それまで山中は近代五種という競技そのものを知らなかった。
「だけど、いろんな競技をやって楽しいかもと思いました。別のことをやってみたいと考えていたので、チャレンジすることにしました」

 しかし、5つの種目をこなすのは言うは易し行うは難しである。フェンシングでは剣を向けられて逃げ出したくなった。馬に乗っても落馬は日常茶飯事だった。
「まだ落ちるのはいいほうです。コントロールがきかず、バーッと走られるのが一番怖かった。止め方は習っていたのですが、どうすることもできなかった……」
 射撃も腕の筋力がなく、1キロの銃が支えきれなかった。山中のほかにも近代五種に誘われた選手はいたが、半年間の間に脱落していった。

 初心者がプラスに

「最初は体が細かったので体力が持つかなと心配していました。でも男子以上に精神力が強かった。根をあげず、黙々と頑張ることができるんです」
 才藤は山中の強みをこう評する。土佐弁では男勝りで負けん気が強い女性を“はちきん”と呼ぶ。山中はまさに“はちきん”だった。

 射撃では初心者だったことが逆にアドバンテージになった。ちょうどその頃、競技で使用する銃がエアピストルからレーザーピストルに代わり、経験のある選手たちは適応に苦慮していたからだ。実際に銃口から弾が飛び出すエアピストルと、弾を使用しないレーザーピストルでは軌道が異なり、感覚が微妙に違う。最初からレーザー射撃に取り組んだ山中は、みるみる力をつけた。もともと自信のあった長距離走と合わせ、コンバイントだけなら充分、世界レベルだ。競技を始めて1年半で参加したローマの大会では予選でコンバイントは1番になった。

「やればやるほど伸びていく。そこにやりがいを感じますね」
 山中は近代五種の魅力をそう明かす。「ただ……」と前置きして、「いまだに各種目の細かいルールはよく分からないんですよ」と笑った。5つの競技を1日で実施する近代五種では体力面はもちろん、精神面の強さも問われる。たとえ、ひとつの種目の結果が悪くても気持ちをいかに切り替えるかも大切な要素だ。そんな屈託のなさも彼女の強みなのかもしれない。 

(第4回へつづく)
>>第2回はこちら

山中詩乃(やまなか・しの)プロフィール>
1990年8月3日、高知県生まれ。幼稚園から水泳をはじめ、城北中では駅伝メンバーに選ばれて県大会優勝。中3から4年連続で都道府県対抗駅伝の県代表に選ばれる。山田高では2年時に全国高校女子駅伝で県勢初の8位入賞に貢献。3年時は大分国体少年女子A5000メートルで2位に入る。09年に自衛隊入隊。近代五種を始める。転向後1年半で迎えた11年5月のアジア・オセアニア選手権(中国・成都)で5位に入り、黒須成美とともに日本女子初のロンドン五輪出場権を獲得した。身長158センチ、体重40キロ。




(石田洋之) 
◎バックナンバーはこちらから