決勝点の場面、3人でカウンターを開始したウズベキスタンに対し、日本は4人の選手を自陣に残していた。だが、ボールがペナルティエリアに進入しようかという段階で、ウズベキスタンは2人増えて5人になっていたが、日本は4人のままだった。数的不利を引っくり返すため エネルギーを振り絞ったウズベキスタンと、それを傍観してしまった日本。0−1というスコアは、妥当なものだといわざるをえない。
 日本にとって、難しい状況での試合だったことは事実である。欧州組はリーグ戦も終盤に差しかかり、相当な疲労を抱えている。シーズンが開幕していないJリーグ組は、まだ“サッカー勘”がボケてしまっている部分がある。加えて、いくらメディアが「絶対に負けられない」と煽ろうとも、最終予選の組み合わせが3次予選の順位ではなくFIFAランキングで決定される以上、敗北が全くもって致命的ではないことを、選手たちは知ってしまっている。この状況で死力を振り絞れというのは、いささか酷というものだ。

 コンディションやモチベーションの問題は、時期や状況が変わることによって解消される。気になるのは、そうした要素とは関係ない課題も浮き彫りになってしまったことである。

 前半、日本のサッカーは大失速をしてしまう後半ほどには悪くなかったが、ほとんどの攻めが“中道左派”というか、中央部、もしくは左サイドからのものだった。特に、左サイドで長い距離を駆け上がる長友の果たしていた役割は非常に大きく、日本にとっては攻撃面での最大の武器、きっかけとなっていた。

 言うまでもなく、長友はインテルの選手である。最終予選で対戦する相手も、当然のことながら彼の攻撃力と、そこから生まれるさまざまな変化には十分な警戒をしてくるだろう。長友にフタをすれば日本は止まる――そう考える監督がでてきても不思議ではない。

 では、左サイドを封じられた場合、日本はどうするのか。ザッケローニ監督は左利きの藤本を右サイドに置き、そこに内田を絡ませることで問題をクリアしようとした。この試みは失敗だった……とまではいかないものの、成功とも言えなかった。後半、ザッケローニ監督が真っ先に手をつけたのも、このポジションだったからである。ところが、藤本と交代した乾が左サイドに入り、岡崎を右サイドに回すと、前半はよかった岡崎までが試合から消えてしまった。

 ハーフナーをトップに残した1トップシステムも明らかな不完全燃焼に終わった。しかも、後半途中から投入された李忠成もまったく試合にからめずじまい。攻撃のオプションを増やしたかったであろうザッケローニ監督からすると、ほとんど収穫のない一日になってしまった。

 新体制になってからの日本が、かつてないほどに素晴しいサッカーを展開してきたのは間違いない。だが、今回の3次予選であげた勝ち点10のうち、6はタジキスタンから奪ったもの。ウズベキスタン、北朝鮮からは、4試合戦って勝ち点4、得点にいたってはわずか2(しかも得失点差はマイナス1!)しかあげることができなかった。日本が目ざましい成長を遂げた一方で、アジアのライバルたちもすさまじい勢いで力をつけていることを忘れてはならない。

 攻撃のほぼずべてを本田に託した感のあった南アフリカでの日本代表に比べると、ザッケローニ体制での日本代表は信じられないほどに豊富な人材の組み合わせができるようになった。ケガや出場停止によって戦力が極端に落ちるリスクはかなり少なくなった。だが、それでも最終予選は楽観できない。そのことをあらためて教えられた敗戦だった。

<この原稿は12年3月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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