「もうドキドキするようなことはないですね。オクタゴン(金網に囲まれた八角形のリング)を生で観たらドキドキできるのかと思いましたけど、やっぱり無理でした。あの頃のアルティメット大会は特別だったんですね」
 2月26日、『UFC JAPAN』のメインエベントが終わり、さいたまスーパーアリーナから外へ出ると、一緒に観戦していた友人が、まだ明るい空を見上げながら、そう言った。私も同じことを考えていた。
「あの頃」とは、もう18年前……UFCがスタートした頃のこと。そう、当時UFCは「アルティメット大会」と呼ばれていた。

 今回の『UFC JAPAN』は見応えのある大会ではあったと思う。
 岡見勇信、秋山成勲、山本“KID”徳郁らが敗れ、日本人ファイターの今大会の戦績は4勝5敗。ニュースター誕生の予感は漂わなかったが、それでもライト級タイトルマッチ(ベンソン・ヘンダーソンがフランク・エドガーを下し新王者となる)はハイレベルな攻防であったし、ファイト内容、イベント構成は十分にファンを楽しませるものだった。
 ただ、これは最初から解っていたことなのだが、ドキドキ感は無かった。あの頃に感じたドキドキ感を得ることはできない。

 1993年11月12日(現地時間)、米国コロラド州デンバーで、UFCの第1回大会は開かれたのだが、あの時の衝撃は、いまも忘れられない。まだ日本でプロレス人気が全盛だった頃に、総合格闘技の礎となる「ノールール」のトーナメントが開かれたのである。

 トーナメントにエントリーしたのは次の8選手。
 ケン・ウェイン・シャムロック(米国/パンクラス、シュートファイティング)
 パトリック・スミス(米国/テコンドー)
 ホイス・グレイシー(ブラジル/グレイシー柔術)
 アート・ジマーソン(米国/ボクシング)
 ケビン・ローズイヤー(米国/キックボクシング)
 ジーン・フレイジャー(米国/カラテ)
 ジェラルド・ゴルドー(オランダ/サバット、カラテ)
 ティラ・トゥリ(米国/相撲)

 その中からトーナメントの頂点に立ったのは、決勝戦でジェラルド・ゴルドーを僅か104秒で葬った当時無名のグレイシー柔術の使い手ホイス・グレイシーだった。

 このトーナメントは文字通り「ノールール」で行なわれている。目潰しと噛みつき以外は何をやってもよい……あらゆる攻撃が許されていた上に体重制、時間制限も設けられていなかった。グローブ、シューズ、道着の着用も自由で、あらゆる競技の選手が闘いやすいスタイルでオクタゴンの中に入ったのである。

「喧嘩トーナメント」と称された通り、凄惨なシーンも多くあった。何しろ倒れた相手に対して素手で顔面殴打は勿論、金的攻撃、脊椎、後頭部への打撃、頭突き、すべてが有効技とされていたのである。レフェリーも、選手本人からのタップ、あるいはセコンドからのタオル投入がない限り試合をストップしなかった。

 当然、このような大会を米国の各州に設けられているアスレチック・コミッションが認めるはずもなく、当時のUFCは法の目をくぐるようにして開催されていた。つまり、このUFCのトーナメントに出場するには、アスリートとしての能力以上に、覚悟と勇気が求められていたのである。

 だが回を重ねる中で、UFCは姿を変えていく。ルールを設けてスポーツ化していったのだ。いまでは多くの制限が設けられ、第1回大会当時とは違い、ノールールファイトではなく、ボクシングなどと同様の「競技」となっている。そのため、アスレチック・コミッションから大会開催をストップされることもなくなったが、同時に「最強の格闘技」「最強の男」を決める大会でもなくなった。

 ボクシング、レスリング、柔道、カラテ、キックボクシング、相撲、柔術……格闘技の中で何が最強かを決めようじゃないか! UFCのコンセプトはスタート当初、そこにあった。しかし、いまは、それもない。

「いいじゃないか、競技として成熟し、ファイターたちのレベルも上がったのだから。それとも野蛮な闘いが見たいのか?」
 そう言う人もいるかもしれない。
 確かにジャンルが確立され、レベルが上昇していることは素晴らしいことではある。しかし、UFCは「ドキドキ感」を喪失した。この「ドキドキ感」はファイトが荒々しかったことからもたらされていたのではない。

 オクタゴンに入る恐怖と闘い、格闘技とは、フィジカルの強さだけではなく、メンタルの強さこそが大切なのだと教えてくれるファイターたちの姿に、最強の格闘技を決めようという壮大なテーマに私たちはドキドキしたのである。
 UFCの隆盛は喜ばしい。でも、ドキドキ感の喪失は寂しい――。

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー〜小林繁物語〜』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』(汐文社)ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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