柳川大樹が生まれ育った徳島県は、元ラグビー日本代表主将の林敏之を輩出している。しかし、全国的な強豪校や実業団クラブがあるわけではなく、決してラグビーが盛んな土地とは言えない。柳川もラグビーを始めたのは高校からであり、中学まではバスケットボール部で活動していた。そんな中、柳川は中学3年の時のバスケの試合会場で運命の出会いを果たす。「今も頭が上がりません」と語る徳島県立城東高校ラグビー部監督の川真田洋司だ。
 第一印象は予想外!?

 柳川には3つ年上の兄がいる。兄は城東のラグビー部で活躍しており、身長約190センチと体格に恵まれ、高校日本代表にも選ばれる名選手だった。その弟がいると聞いて、川真田が柳川を視察に訪れたのだ。だが、バスケの会場では、なかなか柳川を見つけることができなかった。
「(柳川の)兄が190センチ近い大柄でしたから、勝手に弟(柳川)もそれぐらい大きいとイメージしていました(笑)。ところが、会場を見渡しても大きい選手がいないんです。“(試合に)出ていないのかなぁ”と思って関係者に訊くと、“あれが柳川です”と。身長は180センチより下でしたね」

 予想外の体格の小ささだった。それでも、川真田は柳川のある特徴に目を引かれた。
「全体的に非常に柔らかそうな質の筋肉がついていたんです。ウエイトトレーニングをしても、無駄な筋肉がつかないことが見てとれました」
 さらに、柳川の両親、祖母は皆大柄だったことから、「将来、絶対に身長は伸びる」と踏み、スカウトすることを決意する。柳川自身も身長が伸び悩んでいたことから、高校ではバスケは続けないと考えていた。兄がやっていたラグビーに関心を抱いていたこともあり、スカウトを断る選択肢はなかった。2004年4月、柳川はスポーツ推薦で城東に入学した。
 
 バスケからラグビーへと環境が変わることに戸惑いはなかったのか。
「城東は高校からラグビーを始める選手がほとんどなんです。みんな同じスタートラインだったので、焦らずにすみました」
 中には球技やスポーツ経験がない同級生もいた。その意味ではバスケでボールを扱うことに慣れ、一応のハンドリング技術が身についていたことは柳川にとってメリットとなった。川真田から与えられたポジションはロック(LO)。キャッチングの技術、リーチの長さを生かせるとの判断だった。

 体の成長とともに芽生えた自信

 部員数が少ない城東ラグビー部は、ゲーム形式の練習ができない代わりに、パスやキック、キャッチ、グリッド(3対2、2対2などに分かれて行うパスゲーム)などで基礎技術を徹底して強化するのが伝統だ。柳川も「高校では基本的なスキルばかり練習していました。それが今の僕のベースになっていると思います」と当時を振り返る。

 では高校時代に最も学んだことは何なのか。柳川は「メンタルの部分です」と迷うことなく答えた。監督の川真田は「心がなければ始まらない」をモットーにしており、心技体の中でも「心」を最も重要視している。その一環として部員にはラグビー以外のさまざまな活動を実践させた。定期的な学校のグラウンド脇のトイレ掃除、さらには帰宅後に各家庭の家事を手伝う。その内容を川真田に連絡するのが城東ラグビー部の日課となっていた。心を鍛える意図を川真田はこう語る。
「選手に自信をつけさせるためには、心を強くする必要があります。心が強くなれば、壁にぶつかっても頑張れるからです」
 
 柳川は高校1年の時、ディフェンス練習が苦手だった。「タックルを外されたり、コンタクトで負けたり……。(入学当初は)体もFWにしては大きい部類ではなかったですからね。思うようなプレーができず、自信を持てていなかったと思います」と川真田にも苦しむ姿が印象に残っている。自信のなさは試合にも表れた。ボールを持っても、すぐ味方選手にパスを渡すなど、消極的なプレーが多かったのだ。

 それでも、柳川の心は折れることはなく、愚直に練習に取組んだ。川真田も「心が折れる子もいますが、彼は芯が強く、決して諦めませんでした」と柳川の姿勢を評価する。また、体が成長期にあったことにも救われた。「高校に入って一気に伸びました」と本人も驚くほど、身長は180センチ、185センチ……と破竹の勢いで伸び続けた。フィジカルが成長したことで、ラインアウトで届かなかったボールをキャッチできたり、相手とのコンタクト勝負でも負けなくなった。「試合中、チームメートに指示を出すようにもなりました」と川真田も柳川の変化に気付いていた。柳川に自信が芽生えつつある証拠だった。

 選手として成長を続ける柳川。ただ、はじめの2年間は、高校ラガーマン最大の目標でもある「花園」への出場はかなわなかった。2年時には徳島県大会決勝に進出したものの、ロスタイムに逆転を許して涙を呑んだ。花園出場へ残されたチャンスはあと1回――。柳川は、最後の1年間でさらなる飛躍を遂げることになる。

(第3回へつづく)
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柳川大樹(やながわ・だいき)プロフィール>
1989年2月19日、徳島県生まれ。徳島県立城東高―大阪体育大学。城東高では3年時に全国高校ラグビー選手権に出場し、徳島県勢では36年ぶりに初戦を突破。大体大では1年からベンチ入りを果たし、U-20日本代表候補に選ばれる。11年、リコーブラックラムズ入り。リーグ戦13試合中11試合、1トライを獲得。同年、7人制日本代表に選出され、11年ボルネオセブンズは全6試合にフル出場して優勝に貢献した。オーストラリアで行われたセブンズワールドシリーズにも参戦し、世界レベルを経験。3年後のイングランドW杯、7人制ラグビーが正式種目となるリオデジャネイロ五輪出場を目指している。ポジションはロック、ウイング並のスピードを誇り、空中戦にも強い。身長190センチ、体重100キロ。



(鈴木友多)
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