「野球の神様」は“突然”を好む。完全に主導権を握っていたかと思えば、“突然”試合の流れが変わることもあれば、それまで好投していたピッチャーが“突然”制球を乱し始め、打ち込まれることもある。そして、その“突然”は試合の中だけには限らない。選手の野球人生そのものをガラリと変えることもある。田中勇次の“突然”は大学2年の秋だった。単なる人数合わせで入った外野の守備をきっかけに、それまで一度も経験のなかった外野手としての才能を開花させたのだ。大学に入学して2年間、 “野球の神様”は一度も田中の方を振り向いてはくれなかった。しかし、決して腐ることなく努力し続けてきた彼に、“野球の神様”がようやく微笑み返してくれたのだ。そして、そのチャンスを田中は決して逃しはしなかった。
 野球を始めた時から内野手一筋だった田中は、外野の守備に関しては素人同然。飛距離の目測、打球への追い方・入り方、送球……どれをとっても内野とはまるで違う守備に、とまどいがあっても当然のことだ。ところが、田中は余裕の表情でこう語った。
「監督に転向を言われた翌日から外野手として守備練習に加わったのですが、全く違和感はなかったですね。フライを捕ることに関しては、それほど苦労することはありませんでした。打球の方向や飛距離は、自分でも理由はよくわからないんですけど、バッターの全体的な雰囲気やスイングを見ていると、“この辺に飛んできそうだな”という勘が働くんです。だから、守備に関しては不安が一切ないんです。逆に内野の時の方がプレッシャーを感じていたくらいです(笑)」

 さらに、外野の守備をすることで、田中の身体能力はグンと上がった。入学当初、50メートル6秒5と平凡だった田中の足は、今では5秒8とチームの中でもトップクラスの俊足を誇る。さらに90メートルに満たなかった遠投の距離は、なんと100メートルにまで伸びたのだ。走るスピードが増したことに関してはわからないとしながらも、強肩となった理由については、次のように分析している。
「実は外野手に転向して、一番苦労したのが、送球だったんです。手首のスナップを利かせて投げる内野手とは違い、外野手は体全体で投げなくてはいけません。ですから、最初は全然遠くへは投げられなかったんです。そこで送球フォームを矯正するために、よく遠投をするようになりました。それで遠くへ投げる体の使い方を身に付けたんだと思います。あとは肩まわりの筋肉を鍛えたことも大きかったですね」

 肩まわりを鍛えるウエイトトレーニングを始めたきっかけは、強肩の後輩だった。
「一つ下の学年に石畑桂佑というキャッチャーがいるんです。彼は体格は僕とさほど変わらないのに、とても肩が強い。どうしてだろう、と思っていたら、肩甲骨周辺の筋力がとても強いということがわかったんです。それで、もしかしたらそれが送球にもつながっているのかなと思って、自分なりに考えて、肩甲骨の筋力を鍛えました。それが功を奏したんだと思います」

 リーグ戦で得た自信と課題

 20歳にして外野手としての野球人生をスタートさせた田中だが、「むしろ内野よりも簡単だと思った(笑)」と語るほど、その安定感はピカイチだった。3年春のオープン戦では初めてAチームに帯同し、守備固めとしての役割を果たしてみせた。リーグ戦でのベンチ入りはほぼ確実だった。とはいえ、レギュラーまでには達しておらず、あくまでも“守備要員”。田中自身もそのことをきちんと理解していたため、練習のほとんどを守備に割いていた。

 ところが、再び“突然”が起こった。春季リーグの開幕直前、外野手のレギュラーが一人、ケガをしてしまったのだ。その一つ空いた席に座ったのが、田中だった。2年間一度も公式戦出場はもちろん、ベンチ入りもなかった田中が、いきなり“開幕スタメン”を張ったのだ。さすがの田中も、動きがかたくなったという。
「初打席と初めての捕球は緊張しましたね。初打席はヒットにはなりませんでしたが、逆方向にいい感触で打てたので、次の打席からはもう緊張はしなかったです。守備も、最初のアウトはレフト線にきれいに弾き返された打球をジャンピングキャッチしたものでした。それで『よし、いける』と自信を深めましたね」

 その後、田中はシーズンを通してスタメンあるいは守備固めで試合に出場し、監督からもチームからも信頼される外野手となった。秋には明治大学は4季ぶり34回目のリーグ優勝を果たし、15年ぶりに明治神宮大会をも制した。田中もメンバーとしてチームに貢献。明治神宮大会にも2試合に出場した。だが、それらはあくまでも守備面でのこと。バッティングは春秋ともに1割台後半と振るわなかった。しかし1年間、リーグ戦に出場し、打席に立ったことで、六大学のピッチャーのレベルを把握したことは、田中にとって大きな財産となったに違いない。“外野手・田中勇次”の挑戦はこれから本番を迎える。

(第3回につづく)

田中勇次(たなか・ゆうじ)
1991年1月11日、兵庫県出身。鳴門工業高3年夏、主将として甲子園に出場。明治大では2年秋に内野手から外野手に転向し、翌年の春季リーグでは開幕スタメン入りを果たした。主に守備固めとして、昨秋には明治神宮大会優勝に貢献した。今年は主将としてチームを牽引する。170センチ、70キロ。右投右打。






(斎藤寿子)
◎バックナンバーはこちらから