チェルシーとの欧州CL準決勝に敗れたことで、バルセロナの今シーズンが事実上終わった。数カ月前、「バルサの終わりが始まりつつある」と書いたが、まさかこんなにも早く、こんなにも無残なバルサを見る日が来ようとは――。
 グアルディオラ監督に率いられたバルサは、あらゆる時代のチームと比較しても、史上最高にして最強のチームだったとわたしは思う。今後もバルセロナを倒すチームを出てくるだろうが、こんなにも美しく、こんなにも世界中から愛されるチームが再び出現する可能性は、ほぼあるまい。

 では、なぜペップのバルサは美しく、そして終焉のときを迎えたのか。アルゼンチン代表と比較すると、その答えが見えてくる。

 すでに多くの人がご存じの通り、アルゼンチン代表でのメッシは、バルサのメッシに比べると信じられないほど物足りない結果しか残せずにいる。その理由については多くの意見があるが、わたしは、バルサでのメッシはスーパーであることがオプションであるのに対し、アルゼンチン代表でのメッシはスーパーであることが前提となっていたから、だと見ている。

 バルサでのメッシは、スーパーであるだけでなく、典型的な下部組織の出身者でもある。つまり、優れたバルサの選手としての条件を満たしつつ、それ以上の要素ももっていた。ゆえに、仮にメッシがケガなどで欠場したとしても、チームからバルサとしてのスタイルが失われることはなかった。

 だが、アルゼンチン代表でのメッシは、マラドーナとしての役割を期待されていた。歯車の一つとしてボールにからむのではなく、ボールを持つたびに決定的な仕事を求められ……期待を裏切った。

 いま、バルセロニスタの中には、なぜメッシがアルゼンチンでダメだったのか、痛感している人がいるはずである。数年前からすでにスーパーだったメッシは、右足をも使いこなすようになったことで、マラドーナをも凌駕する歴史的な存在に成長した。結果、バルセロナの中にあっても、メッシがボールを持つと、特別なことを期待する空気が生まれた。そのことによって、ボールを持たない選手の動きの質は徐々に悪化し、芸術的だったボール回しは姿を消した。ポゼッションの高さという数字上のデータは変わらないが、いまのバルサは、すでに以前のバルサではなくなっている。

 歴史に名を刻むチームの崩壊は、主力の衰えによって始まることが多かった。だが、バルセロナは、一人の選手が成長しすぎたためにバランスを失ってしまった。これは、サッカー史上最も皮肉で美しい崩壊として記憶されることになるのではないか。

<この原稿は12年4月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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