世界ボクシング界を代表するスーパースター、マニー・パッキャオの次戦が6月9日に迫っている。保持するWBO世界ウェルター級王座、4度目の防衛戦。相手となるのは、WBO世界スーパーライト級王者ティモシー・ブラッドリー。デヴュー以来28連勝(12KO)で、いまが28歳と年齢的にも脂が乗り切った実力派黒人ファイターである。
(写真:ビッグファイトウィーク開始を間近に控え、米ボクシング界は徐々に盛り上がりをみせ始めている Photo by Kotaro Ohashi)
「マニーと共通点も多い選手だよ。マシーンのようなハードワーカーで、思い切り良く連打を振るって来る。無敗を続けているだけのことはあるね」
 パッキャオと名デュオを組むフレディ・ローチトレーナーもそう語り、ブラッドリーへの警戒心を露にする。ブラッドリー、パッキャオともに中間距離の戦いを好む選手同士だけに、噛み合った打撃戦になる可能性も高いだろう。

 それでも予想をするなら、もちろんパッキャオが断然有利と目されてしかるべきである。ブラッドリーも確かなスキルに加え、ヘッドバッドという裏技を備えたやりにくい選手ではあるが、パッキャオレベルのエリートボクサーとの対戦経験はない。未知の領域に足を踏み入れた黒人ボクサーに対し、運動量と回転力で上回る6階級制覇王者が順調にポイントを重ねていく展開が最も有力だろう。

 試合途中に地力の差を知ったブラッドリーが、2010年3月にパッキャオに挑んだジョシュア・クロッティのように専守防衛状態になってしまう流れも考えられる。ボクシングの奥行きで上回るパッキャオの大差判定勝ちの線が濃厚で、怒濤の連打でレフェリーストップに持ち込むこともあり得るかもしれない。
(写真:順当ならば実績、地力に勝るパッキャオ有利は間違いないが…… Photo by Kotaro Ohashi)

 スター豊富とは言えない現在の世界ボクシング界において、フィリピンの英雄にここで失速してもらうわけにはいかない。一発でKO可能なパワーを持たないブラッドリーが挑戦者に選ばれた背景には、リスクが大きいとは言えない相手をあてがい、やや停滞気味のパッキャオの勢いを取り戻させたいというトップランク社のボブ・アラム氏の思惑もあったに違いない。

 ただ……そんな楽観的予想も、すべてはパッキャオが全盛期に近い力を保っていると仮定した場合の話である。
 2009年にリッキー・ハットン、ミゲール・コットを連続でストップしたあたりまでは破竹の勢いだったパッキャオも、以降は4戦連続で判定勝利に終わってきた。特に昨年11月のファン・マヌエル・マルケスとのラバーマッチでは、宿敵を相手に大苦戦。リングサイドに陣取った人々の大半が「負けていた」と語る内容で(結果は2−0で僅差判定勝利)、世界中のファンを多少なりとも落胆させてしまった。
(写真:ボブ・アラム氏は今秋にパッキャオ対マルケスの第4戦挙行を視野に入れていると予想される Photo by Kotaro Ohashi)

「95マイルの速球を投げていた本格派投手の球速が、数マイル落ちてきたような状態ではないか。依然として凄いボクサーには違いないが、やや衰えが見られるのは確かだろう」
「ESPN.com」のダン・レイフィール記者のそんな言葉は、多くの関係者の考えを代弁している。“超人的”と言われたパッキャオも33歳となり、肉体的にピークを過ぎたのは事実なのかもしれない。

 そして、そんなフィジカル面よりも、さらに気になることがある。ここしばらく、“パッキャオのボクシングに対する意欲に陰りが見られる”と業界内で盛んに噂になっていることだ。
 2010年に下院選挙に当選して以降、パッキャオの多忙な日々にはさらに拍車がかかった。ボクサーとしての活躍に加え、映画、テレビ出演なども多く、そこに政治家としての活動まで追加。混沌とした生活の中で、今年3月には母国での脱税疑惑が持ち上がり、先月には同性愛者の結婚に異議を唱えて物議を醸すなど、リング外でニュースになる機会も増える一方だ。

 しかも今回のブラッドリー戦を前にして、近年は飲酒、ギャンブル、女遊びにも勤しんでいたことを告白。真偽は謎のままだが、“マルケス戦の直前にはジンキー夫人から離婚届を突きつけられた”などという報道もなされている。
 彼の周囲にはさまざまな話題が常に飛び交っており、スケジュールはほとんどクレイジーと言える状態。こんな目まぐるしい日々の中では、“ボクシングに集中できていないのでは”と疑われても仕方ない。政治活動を始めた期日とリング上でのパフォーマンスが下降線を描き始めた時期は重なるだけに、モチベーション減退の噂を完全に否定するのは難しいのが現実だ。

「僕はまだまだハングリーだよ。ファンに良いファイトを見せて、がっかりさせないことが最優先事項。ブラッドリーは恐れずにパンチを放ってくるから、激しい打ち合いになるだろうね」
 パッキャオ本人はそう語り、リングへの気持ちがが萎えていないことを強調している。言葉通り、心身ともに完調に近いコンディションで臨んできたならば、パッキャオの有利は動かない。たとえスピードや切れ味に多少の衰えはあろうと、その戦闘力はいまだに世界最高級。フルラウンドに渡って鋭いステップインからの連打を放ち続ければ、ブラッドリーはさばき切れないだろう。

 ただ、この試合が決まった直後には、他ならぬローチ・トレーナーも「マニーは(知名度が高いと言えない)ブラッドリーのような相手でもやる気を保てるかどうか」と懸念していた。周囲が危惧する通り、もしもパッキャオの緊張の糸がもう途切れてしまっていたとしたら……。そのときには、意を決したブラッドリーの鋭いパンチの前にパッキャオがずるずると後退する意外なシーンが見られるかもしれない。
(写真:もしもパッキャオがブラッドリーに敗れるようなことがあれば、世界のリングは混沌状態に陥ることになる Photo by Kotaro Ohashi)

 9日のタイトル戦は、我らの時代を駆け抜けてきたリーディングボクサー、パッキャオの現在の能力とコンディションを測るリトマス紙的な一戦になる。世界中が注目するリングに現れるのは、いまだにフレッシュで野性的な怪物ボクサーか、あるいはリング外のさまざまな出来事によってかき乱された下降線のファイターか――。
 試合展開が読みづらいマッチアップではないが、結果は予定調和のものに終わるとは限らない。初夏のラスベガスで行なわれるビッグファイトからは、波乱の予感も少なからず漂ってくる。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

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