苦難を乗り越えての大舞台だ。ピストル射撃の小西ゆかりはこの夏、2大会ぶりの五輪に挑む。競技を始めてわずか4年で出場したアテネ大会から8年。結婚と離婚を経験し、就職先が決まらず、アルバイト生活もした。競技を続けることすら困難な状況ながら、それでも彼女は諦めなかった。「ロンドンでは自分らしい射撃をしたい」と語る小西に二宮清純がインタビューを行った。

 “空撃ち”で増した集中力

二宮: 小西さんは今回のロンドンで「25メートルピストル」と「10メートルエアピストル」に出場します。日本では許可なしに銃の所持ができませんから、管理は厳しいでしょう?
小西: 当然、家には持ち帰れませんから、普段は警察で保管してもらっています。練習や試合のたびに、銃と実弾を取りに行き、終われば、また戻しに行くという流れです。大会が休日に開催される場合もあるので、その時は事前にお願いをして、当直の方に窓口になってもらいます。

二宮: 持ち運びにも気を使いますよね。
小西: 盗まれたり、紛失すると大変なことになりますから、電車移動はしません。基本は車で移動しています。銃も弾もケースに保管し、厳重にカギをかけています。

二宮: 25メートルピストルでは実弾を使います。弾1発の値段は?
小西: 1発35円ほどです。自衛官だった時には、1日150発くらい撃っていましたが、退官してからは弾代もすべて自己負担になりましたから、そこまでは撃てません。

二宮: となると練習も充分にできませんね。
小西: 実弾で撃つ機会はかなり減りました。空撃ちの練習が多くなりましたね。弾が入っていると仮定して、カチッと引き金を引く動作を繰り返すんです。

二宮: 弾が入っていないと、どこに当たったかは分からないのでは……。
小西: でも、感覚で“これは10点に当たった”とか“外れた”とかは分かります。実弾の練習が少なくなった分、1発1発にかける集中力が増した点はプラスになったと感じています。自衛隊にいた時は自分のお金で買った弾ではありませんでしたから、やはり今とは1発に対する思いは異なりますね。

二宮: 自衛隊を除隊後は離婚も経験されて、競技を続けながら貯金を切り崩したり、アルバイトをしたりと生活も大変だったそうですね。
小西: ラーメン店でアルバイトもしました。接客からラーメンの提供、片付け、皿洗いといろいろやりましたね。

二宮: 射撃は指先の感覚が命。コップやお皿が割れて指を切ったり、熱湯でヤケドでもしたら競技に支障が出てしまいます。
小西: もちろん、ケガには充分気をつけていました。でも、実際に仕事をしていると、そこまで細かくは気にしませんでしたね。射撃と一緒で、あまり神経を使い過ぎるとかえって良くない。仕事以外でも、普段はなるべく普通に生活するようにしています。

二宮: 主にどの時間帯で仕事をしていたのですか?
小西: 夜の19時から深夜の2時までが多かったです。夜遅くまで大変でしたけど、仕事をさせてもらえるだけでもありがたかったです。練習や大会があると、どうしても勤務が不定期になってしまいますから、自分の都合に合わせて働ける職場となると、なかなか見つからない。だからアルバイト先は選びたくても選べない状況でした。そのラーメン店も応募の際は半分ダメ元だったのですが、ありがたいことに「応援したい」と事情を受け入れていただきました。

 最悪の精神状態で世界4位

二宮: 残念ながら射撃はマイナー競技ですから、選手を支援する体制も十分ではない。大会参加の遠征のみならず、銃や弾にもお金がかかる。競技を続けるのは本当に苦労が多かったでしょう。
小西: 種目によって使用する銃は異なりますから、それぞれ購入しないといけませんし、メンテナンスの費用もいります。それに銃は所持するだけでお金がかかるんです。警察への手続きを定期的に行う必要がありますし、精神科医の診察も受けなくてはいけません。その費用を全部合わせると1丁につき、年間3〜4万円がかかってしまいます。

二宮: 生活が安定しないと、どうしても競技に集中できません。それでも射撃を続けたのは?
小西: 射撃をすると、日常のイヤなことを忘れられるからです。銃を構えて撃ち始めると、的に集中して無の境地になれる。どんなに苦しい状況でも射撃をしている時間は、あれこれ考えなくていい。射撃に私は救われたという気持ちが強いです。

二宮: ただ、生活面でストレスがたまると、どうしても競技に影響が出るのでは?
小西: その点は難しいところなんです。たとえば五輪出場権を獲得した一昨年の世界選手権。この時は精神状態が最悪だったんです。ストレスがたまって体もむくんでいましたし、体調もすぐれなかった。競技に集中できなくて、モチベーションが上がらなかったんです……。

二宮: そんな状態で4位入賞とはすごい!
小西: とにかく大会だから出るしかないという思いで臨みました。結果は全く期待していなかったのですが、かえって余計なことを考えなくて良かったのかもしれません。

二宮: 勝負に対する意欲が薄くてもいけないし、強すぎてもいけない……。アスリートは心技体が重要と言われますが、心の部分は本当に難しいですね。
小西: 4位に入って五輪出場権を獲得したんですけど、「やった!」という気持ちはあまり沸いてきませんでした。そのくらい精神面がもやもやしていたんです。メンタルがいいから結果がいいとは限らないと感じた大会でした。

二宮: さて、昨年の『マルハンワールドチャレンジャーズ』では最終オーディションに残り、協賛金100万円を獲得しました。応募のきっかけは?
小西: 周囲の方から「こういう企画があるよ」と教えていただいたのがきっかけです。資金面では常に困っているので、「応募してみよう」と思いました。協賛金をいただけて本当に助かりました。

二宮: 100万円の使い道は?
小西: 弾代や競技に関わる費用に充てたのはもちろん、私生活もいい環境にしたかったので、引っ越しをしました。おかげでいい練習ができていると思います。

 ノートは欠かせないアイテム

二宮: 最終オーディションでも触れていましたが、競技を始めた時からノートをつけているとか?
小西: ずっと同じ種類のノートに書いているのですが、もう15冊目になります。中身は競技のことだけでなく、日記だったり、悩みだったり、いろんなことを書いています。だから、あまり人には見せられません(笑)。

二宮: 差し障りのない部分だけ拝見すると、非常に几帳面なノートですね。競技中の注意すべきポイントや弾着の回数もメモされています。
小西: メンタルの部分でも悩みに対して、自分なりの解決策を書くんです。書くことがセルフコントロールにつながっているのかもしれませんね。

二宮: ノートの中で「リズム」という言葉が目につきますね。
小西: 照準を合わせて撃つリズムを一定にできている時は無心の状態ですし、調子がいいんです。リズムが崩れると余計なことを考えて、ブレにつながる。だからリズムよく撃つことが大切なんです。試合中にも、撃ちながら気づいたことはノートに書いています。

二宮: 試合中も!? それは細かいですね。
小西: ずっと書いていますよ。どうして的に当たったのか、または外れたのか。良かった点も悪かった点も整理していきます。修正点や気をつける点を書きとめて、それを意識しながら次の弾を撃つんです。

二宮: 競技中は制限時間内であれば、栄養補給をしたり、飲み物を飲むのも自由なんですよね。
小西: はい。たとえば25メートルピストルの予選では前半に「精密射撃」といって、5分間のなかで5発撃つ流れを6回繰り返す種目があります。5分間で5発ですからスムーズに撃てれば時間が余る。インターバルを利用して飲み物を飲んだり、ノートをつけたりしています。他の選手との駆け引きは一切ない競技なので、競技中に向き合っているのは、まさに自分と的だけ。だから、いかに自分自身のリズムで撃てるかが重要になるんです。

二宮: シールを貼ってあるページもあります。
小西: シールは良くできた時に貼ります。ノートを見返した時にパッと目につくので、その時の状況を振り返れる。調子が悪い時でも、どうすればいい状態に戻せるのかが分かります。

二宮: 他にノートをつけている選手はいるのですか?
小西: いますよ。先日も隣の射座にいた若い選手が一生懸命ノートに書いていました。私も最初は「皆が書いているからやってみよう」という軽い気持ちで始めたのですが、今では、このノートがなければ競技が続けられないくらい必需品になっています。

二宮: 『マルハンワールドチャレンジャーズ』後には就職が決まり、飛鳥交通の所属になりました。五輪に向けた環境がようやく整いましたね。
小西: 毎月、決まったお給料をいただけますから、これは本当にありがたいことです。しかも会社からは「ロンドンまでは、まず競技に集中してほしい」とおっしゃっていただいて、今はいい環境で練習ができています。支えていただいている皆さんのためにもロンドンではベストを尽くすつもりです。

(後編は6月20日更新予定です)


小西ゆかり(こにし・ゆかり)プロフィール>
1979年1月11日、北海道生まれ。北海道八雲高校卒業後、自衛隊に入隊し、競技を始める。04年にアテネ五輪に出場(19位)。08年には全日本選手権女子25メートルピストル射撃で日本新記録を樹立して優勝。09年に除隊後、10年のドイツ・ミュンヘンで行われた世界選手権の女子25メートルピストルで4位入賞し、ロンドン五輪代表に内定。同年のアジア大会では同種目で銀メダルに輝く。11年10月の第1回『マルハンワールドチャレンジャーズ』では最終オーディションに残り、協賛金100万円を獲得。12年4月より飛鳥交通に所属。


 夢を諦めず挑戦せよ! 『第2回マルハンワールドチャレンジャーズ』開催決定!
 公開オーディション(8月28日、ウェスティンホテル東京)で、世界に挑むアスリートを支援します。



※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(構成:石田洋之)
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