そもそも、ドルトムントはマンチェスターUと比較してもさほど遜色のないチームだった。スタジアムの熱狂度はむしろ上。チームのレベルにしても、若干マンUの方が上だったのは事実としても、十分勝負にはなる程度の差でしかなかった。従って、ドルトムントで活躍した香川が、同じようにマンチェスターで活躍するのは決して不可能なことではない。
 ただ、簡単なことでもない。
 過去、イングランドでは7人の日本人選手がプレーしているが、あの中田英寿でさえ、この国ではイタリアほどの成果を残すことができなかった。それは、彼、あるいは日本人選手のレベルに問題があったというよりも、英国という国ならではの事情が関係しているようにわたしには思える。

 イタリア人は、イタリア語を話せない日本人を不思議だとは思わない。ドイツ人も、ドイツ語を話せない日本人を不思議だとは思わない。日本人が、日本語を話せない外国人を見ても不思議に思ったり、腹立たしく感じたりしないように、である。

 英国は違う。
 イタリア語が、ドイツ語が、日本語が“世界語”だと信じている人間がどれだけいるかは知らないが、英語に関しては間違いなくそう考えている人間がいる。疑いもなく、世界中のどこへいっても通じる言語だと確信している人たちがいる。それも、数えきれないほどいる。フランス人に英語で話しかけたら無視された、と立腹するのは、まさしくそうした人たちである。

 ドルトムントでの香川は、ドイツ語が話せなくてもそれが問題となることはなかった。だが、マンチェスターではそうはいくまい。世界中から集まったスターたちに例外なく英語の習得を求めてきた歴史は、香川に対しても間違いなく適用される。外国人が片言で自分たちの言葉を話してくれた、と喜ぶメンタリティは英国人にはない。言葉の壁は、香川がまず乗り越えなければならない障壁だ。

 もう一つは心配なのは、プレミアとブンデスにさしたるレベル差はないが、両方のリーグで同じように活躍した選手の例があまりないこと、である。朴智星のように、オランダからプレミアという成功例はいくらでもあげることができるのだが、たとえば、香川同様にドルトムントから旅立っていったチェコ代表のロシツキーは、なぜか以前ほどの輝きを放てずにいる。

 困難が大きければ大きいほど、乗り越えた時にえられる自信や喜びは大きなものとなる。香川には、ぜひ多くのものを手にしてもらいたいが、その道のりは、多くの日本人が考えているほど平坦なものではない。

<この原稿は12年6月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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