「これは自分には向いていないな……」
 7年前、高橋靖彦のラートへの印象は、決していいとは言えなかった。大学の授業で初めて体験したものの、とても自分に適している競技とは思えなかったのだ。それもそのはずである。実は高橋は、根っからの野球少年。大学1年時も野球部に所属していた。体育教師を目指すほどスポーツは得意分野の高橋だったが、こと器械体操となると、苦手意識をもっていた。そのため、器械体操の要素をふんだんに含んだ競技であるラートに、好印象をもてなかったのは無理もなかった。その高橋が、今ではラート中心の生活である。将来的にはラートを職業にしたいとさえ考えているのだ。
「人生って面白いですよね。まさか自分がこんなにもラートにどっぷりつかるなんて……(笑)」
 野球からラートへ――果たして高橋に何があったのか。

 大の野球好きだった父親の影響で、高橋はもの心ついた時には既に野球をしていた。
「3歳頃から、結構いい球を投げていたらしく、近所ではちょっと話題の野球少年でした」
 小学校から高校まで野球部に所属した高橋は、大学でも当然のように野球部に入部した。しかし、古傷だった足首のケガの回復が見込めず、高橋は1年で退部することを決意した。将来、プロを目指していたわけではなかったとはいえ、やはり青春のほとんどを費やした野球から離れることに、ショックは大きかった。

 考えようによっては、そのままでも大学生活を謳歌することはできただろう。クラブに入らず、授業以外は自由な時間を過ごすこともできたはずだ。だが、高橋は何かしたいと思った。それも、それまで自分がやったことのない競技に挑戦したいと思った。そこで選んだのが、「体操部」だった。なぜ、あえて不得意分野を選択したのか。
「体育教師を目指して体育学部を選んだのに、苦手な競技があるのはよくないなと思ったんです。それで、最も不得意だった体操をやろうかなと」

 高橋が入部した「体操部」はオリンピックを目指す「体操競技部」と異なり「一般体操」の分野を扱っている。スポーツとして技を極めるもよし、レクリエーションとして楽しむもよし、パフォーマンスを発表してもよし、と自分のレベルに合わせて活動することができたのだ。高橋はそんな気風が体操の不得意な自分には合っていると思った。
 入部当初、高橋は直径1メートル近くある「Gボール」を使った体操やパフォーマンスに楽しさを覚えた。一方、ラートはというと、器械体操が苦手な彼にとって、やはりハードルが高かったのだろう。「ちょっと怖さもあって、ほとんどやらなかった」という。ところが、少しずつ慣れてくると、いつの間にかラートに夢中になっていた。
「できるようになるにつれて、楽しくなってきたんです(笑)。どんどん自分の感覚が磨かれていったり、それまで無理だと思っていた技ができるようになったり……。自分に伸びしろを感じて、この先、大きな可能性を秘めているように思えたんです。正直、野球では先が見えていた感がありました。長年ずっとやってきたからこそ、“ここまでかな”という限界を感じてもいたんです。だからこそ、無限の可能性を感じたラートを極めてみたいと思ったんです」

 競技者としての目覚め

 今や世界の舞台でトップ争いを演じる高橋だが、はじめから秀でた存在であったわけではなかった。初めて出場した大学2年時、2006年の全日本選手権は、高橋にとっては苦い思い出だ。出場者44人中、総合19位と健闘したが、最も難しいとされる斜転で大失敗。10点満点中、1.20点は同大会における斜転でのワーストだった。
「あまりにもひどすぎて、恥ずかしかったですね。でも、だからこそ『うまくなりたい』という思いが強くなりました」
 その後、07年・9位、08年・5位、09年・5位、10年・2位、11年・2位(全て総合順位、種目別優勝も含む)と、着実に力をつけてきた。

 とはいえ、大学を卒業してまでラートを続けようとは考えていなかったという。そのため、4年生の4月には既に一般企業に内定をもらい、翌年からはサラリーマンとしての道を歩もうと考えていた。ところが、その年の全日本選手権でそれまでの最高となる総合5位を獲得した高橋に、思いがけない朗報が届いたのは08年12月のことだった。翌年5月に開催される世界選手権の代表に選出されたのだ。だが、諸手を挙げて喜ぶことはできなかった。出場するには会社に休暇をもらわなければならない。常識で考えれば、入社間もない新入社員が休暇を取るなどということは考えられないことである。ひとしきり悩んだ末、高橋は思い切って会社に相談をしてみた。すると、「そういうことなら」と有給休暇を取って、世界選手権に出場できるようにしてくれたのだ。高橋は会社側の配慮に感謝をしつつ、ほっと胸をなでおろした。

 だが、ラートを使った練習は土日、祝日に限られていたため、正直、世界選手権に向けて十分とは言えなかった。結果は総合12位で予選敗退。とても納得できるものではなかった。だが、この時の経験が、高橋のラートへの気持ちを変えた。
「国内では徐々に上位にいけるようになっていたので、ある程度、上が見えてきた感じがあったんです。ところが、初めて世界のレベルを目の当たりにして、『こんなところで満足していられないな』と思いました。それに、本気でやったら自分も世界レベルに追いつけるんじゃないかという手応えもあったんです。どうせやるなら、世界のトップレベルにまで達してみたいなと」

 しかし、本格的に競技をしようとすれば、サラリーマンの今の生活では、とうてい十分な練習時間を確保することはできない。とはいっても、一度は「ここで頑張ろう」と決めた道を途中で投げ出すことも高橋にはできなかった。そこで、まずはとにかく仕事とラート、どちらもやってみることにした。しばらくは何とか両立していたものの、やがて自分の想いを押さえることができず、高橋はある決断を下した。大学院への進学である。
「大学なら練習環境が整っていますし、将来的にはラートを含めた体操の指導をしたいという気持ちもあったので、大学院で指導者として必要な知識と指導の実践力を身につけたいと思ったんです」

 とはいえ、自らの意思で決めて社会人となったにもかかわらず、会社をわずか1年で辞めることを、高橋は簡単によしとすることはできなかった。高橋は自分自身に高いハードルを課した。大学院に合格することに加え、その年の全日本選手権で好成績を残し、翌年の世界チームカップの代表に選出されることを、大学院進学への条件と設定したのだ。どこまで自分が本気なのか、覚悟をしているのか、自分自身を試そうとしたのだろう。

 大学院の入試と全日本選手権までには、1カ月ほどしか残されていなかった。高橋は通勤時間の一部を利用して勉強にも励んだ。11月、無事に大学院に合格した高橋は、同じ週の全日本選手権で前年と同じ総合5位に入り、再び日本代表に選出された。仕事、勉強、ラートに明け暮れたこの時期のことを、高橋はこう語っている。
「他のことをする余裕は全くありませんでした。もう、とにかく自分の持てる力を出し切りましたね。今振り返っても、あのときはあれ以上頑張ることはできなかったと思います」
 翌年4月、会社を退職した高橋は、再び筑波へと戻り、大学院生としての生活をスタートさせた。それが高橋の“ラート人生”第2章の幕開けとなったのである。

 世界チャンピオンへの挑戦

 今やラートは、高橋の人生とは切っても切り離すことができないほどのものとなっている。本人は「少し前までは考えられなかった」と言うが、周囲はそれ以上に驚いていることだろう。その一人が日本ラート協会事務局の西井英理子だ。第一印象からはとても想像がつかないという。
「ラートを始めたばかりの頃は、正直言って、大会でもあまり目立つ存在ではありませんでした。初めて彼に会ったのは、ラート協会が毎年、春と夏に主催している講習会でした。講習会の最後には必ず質問がないかを聞くんです。そうすると、いつもは何人か手を挙げるのですが、その時は誰も手を挙げず、無反応。正直、『今年の新人はやる気があるのかな?』と思いましたよ。まだラート1年目の高橋君は先輩に遠慮していたのかもしれないですけどね。でも、ビデオ講習の時に眠そうにしていた高橋君はよく覚えています(笑)。その時は、ここまで続けるなんて思いもしませんでした」
 そんな西井も、今では日本ラート界の牽引者の一人としての高橋に大きな期待を寄せている。

 現在、高橋は来年の世界選手権で個人種目の表彰台に上がることを最大の目標としている。昨年、あと一歩のところでかなわなかったメダル獲得に、並々ならぬ思いを抱いている。しかも、高橋が狙っているのは、最も輝くメダルである。では、世界の頂点に登りつめるには、果たして何が必要なのか。

 ラート界ではドイツをはじめ、ヨーロッパの強豪選手には長身の選手が多い。しかし、身長177センチの高橋は海外勢の中においても見劣りしない。その体格の良さをいかしたダイナミックな演技が、彼の最大の持ち味となっている。そして、もう一つは安定感だ。ラートの回転は、スピードが遅ければ遅いほど、力とバランスが必要となるため、小さく速い回転よりも高度さが増す。ゆっくりと、且つきれいな軌道を描く高橋の回転は、美しさと重量感を兼ね備え、見応えがある。

 一方、課題はというと、技の難度を高めることだ。事務局長の西井は「高橋くんは技の出来栄えを評価する実施点においては高い点を取れていますから、あとは技の難度が重要になってくると思います」と語る。本人もそのことは十分にわかっている。
「例えば宙返りをした時に、どれくらいひねりを加えられるかとか、技の難度で得点が変わってきます。ラートの選手にはもともと器械体操をやっていた人が多く、そういった人たちはアクロバティックな動きに長けているんです。その部分を、自分はもっと高めていく必要があると思っています」

 だが、時代の流れも高橋に味方をしてくれているようだ。これまで最も高度なD難度の技は、採点の材料として8つまでカウントされてきた。それが来年の世界選手権では6つまでとルールが変更となったのだ。つまり、難度に対する比重が小さくなり、より技の美しさや安定感などが求められているのだ。高橋はこのルール改正が、自分にとってプラスに働くと感じている。
 過去9回行なわれた世界選手権では日本人の個人総合金メダリストは出現していない。日本人初の個人総合チャンピオン誕生――2013年夏、高橋がラート界の歴史を塗り替える。

(次回はラフティング・阿部雅代選手を取り上げます。8月1日更新予定です)
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高橋靖彦(たかはし・やすひこ)
1985年5月12日、秋田県角館町生まれ。筑波大学大学院。3歳から野球を始め、内野手として活躍。筑波大学でも硬式野球部に所属したが、1年時に足首を痛め、断念。「新しいスポーツに挑戦したい」という思いから体操部に所属し、ラートに魅了される。2010年世界チームカップ大会2位。昨年の世界選手権では男子総合4位、団体3位。体験教室やイベントなど、普及活動も積極的に行なっている。
ブログ:やすの「ラート」的生活



※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(斎藤寿子)
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