同点ゴールを許した瞬間、魔法は切れた。
 特に大きなミスがあったわけではない。しかし、ニアサイドで競り負けたのは永井と吉田だった。得点者をマークしていたのは徳永だった。チームを支えてきたオーバーエージの2人と、ケガを押して出場した攻撃の核が、失点の瞬間に居合わせてしまった。日本人ですら半信半疑だったチームを準決勝に導き、ブックメーカーからブラジルに次ぐ優勝候補の2番手、との評価を受けるまで引き上げてくれた魔法は、この瞬間、切れた。白亜の馬車は、かぼちゃに戻ってしまった。
 それでも、スコアはまだ同点だった。大津が先制するあたりまで続いていたいいリズムは断ち切られてしまったものの、勝負の行方はまだわからなかった。しかも、後半に入るとメキシコはジョバニ・ドスサントスに代えて巨漢FWを投入してきた。日本からすると、前半終わり頃のサッカーを続けられるのが一番イヤだったのだが、44年前、そして直前のテストマッチで日本に敗れているメキシコにも、余裕はなかった。

 だが、やってはいけない大きなミスを、日本は犯してしまった。それも躍進の原動力となっていた扇原が、犯してしまった。ここからの日本は忘れかけていた、しかし見慣れてもいた日本だった。単調で、凡庸で、淡白で――。流麗な攻めで先制したのが信じられなくなるような無残なサッカーしかできないまま、試合を終わらせてしまった。

 残念だ。とにかく残念だ。

 前日のなでしこを見ていなければ、44年ぶりの準決勝進出を果たしたチームにここまで物足りなさを感じることもなかっただろう。だが、わたしは、日本人は見てしまっていた。押し込まれ、蹂躙され、サンドバックのようになりながら、それでも勝利への執念だけは最後まで少しも、ほんの少しも失うことなく戦い続けたなでしこの姿を。

 だが、世界の頂点を狙うなでしこの原点が4年前、北京での敗戦にあるのだとするならば、男子サッカーも、この苦い敗北によって彼女たちの境地に一歩近づいたということになる。しかも、極めて幸いなことに、彼らには今大会の期間中に教訓を生かす機会が残されている。

 準々決勝までの素晴しい戦いぶりによって、日本サッカーの対外的なイメージ、日本人のサッカーに対する考え方は明らかに変わった。「日本ならばできる」――これからは多くの人がそう考えるようになる。

 だからこそ、選手たちは有終の美を飾ることに必死になってほしい。宿敵・韓国との3位決定戦には、あまりにも残念だったこの敗北を簡単に払拭できるだけのインパクトがあるはずだ。

<この原稿は12年8月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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