失望した。心底、失望した。
 志を、目標をどこに置くかによって、この試合の評価は変わってくる。選手やファン、マスコミの意識が4年前の今頃と同じであれば、つまり世界は出るものであっても勝つものではないという前提で見れば、悪い内容ではなかった。「昨年の南米選手権で4位に入った強豪ベネズエラを相手によく頑張った」といった反応が多数派になるだろう。
 だが、世界の頂点を争うのだという前提に立てば?
「W杯に出たこともない国に、しかもホームで戦っていながら再三押し込まれた。これで世界王者を狙うなどおこがましいにもほどがある」――こうなるのではないだろうか。

 ロンドン五輪では、当初期待されていなかった男子がベスト4に入った。準決勝である時間帯までは日本に押し込まれていたメキシコは、決勝でブラジルを破って王者になった。日本のサッカーは、確実に世界に届くところにいることがわかった五輪だった。A代表の選手が、ならば俺たちも、と奮い立つのではないか、あるいは下からの強烈な突き上げに危機感を募らせるのではないか。なんにせよ、“五輪効果”のようなものがはっきりと体感できる試合になるのではないかというのがわたしの予想だった。ファンは、以前よりもはるかに厳しい目を向けるようになっているのでは、とも。

 だが、何も変わっていなかった。
 体調の悪さを差し引いても、日本のプレーはパッとしなかった。なにより、プライドが感じられなかった。世界一を目指すのであれば、あってしかるべき「こんなところで、こんな相手にこんな試合をやるわけにはいかない」というプライドが、ほとんど感じられなかった。なんの盛り上がりもないまま終了の笛を聞いた姿勢には、目眩さえ覚えた。

 近づいたように思えた世界は、いまだ絶望的なまでに遠い。実力はともかく、メンタルがその域にまで到達できていない――。
 この日の香川に「惜しいシュートを何本も放った」と感じる人は、彼の才能と可能性をずいぶんと低く見積もっている人だ。ルーニーだったら、C・ロナウドならば間違いなく言われている。「決めなければいけないシュートを何本も外した」と。そして外せば手厳しい批判が待っている環境が、ルーニーたちを決めなければならない場面で決められる存在に育ててきた。

 日本人は、香川を、日本代表を、どうしたいのか。
 長友は良かった。吉田も、五輪での収穫を確実に感じさせてくれた。だが、合格点をつけられるのは2人だけだ。試合の展開と関係なく単調に歌を歌い続けるサポーターにも失望した。ロンドンから持ち帰った未来への期待が、木っ端みじんに打ち砕かれたような気分にさえなった。試合後、選手たちの表情が冴えなかったのが、わずかな救いだった。

<この原稿は12年8月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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