トップアスリートには、何かをきっかけにして飛躍的に能力が伸びる、そんな覚醒するターニングポイントがある。高校時代の岸本鷹幸もまた然りであった。大湊高校の顧問・舘岡清人はこう証言する。「“変化率”のケタが違いましたね。同じ練習をしていても、他の子が10伸びるところを、岸本は100伸びました」。そのきっかけは、敗戦にあった。負けることで自分に足りないものを冷静に判断し、補う作業を続けてきた。さらに強い相手、高い壁が立ち塞がる度に、彼の内に秘めた闘志は燃え上がる。幼き頃から変わらぬ性格。これは青森県むつ市で育った“鷹”の本能だ。


 肌で感じた世界との距離

 2011年の日本選手権を初制覇した岸本は、ユニバーシアードの中国・深圳大会に出場し、見事、銀メダルを獲得した。そして同年夏、岸本は日本代表として世界陸上選手権の韓国・大邱大会に臨んだ。世界中のトップ選手たちが集う大舞台。その雰囲気にのまれる選手も少なくない。初出場の岸本も、そうなっても不思議ではなかった。だが、彼は違っていた。「街をあげてのお祭りみたいで、“楽しいな”って感じました」と、臆することなく、自然体で立ち向かったのだ。シドニー、北京両五輪の金メダリストであるアンジェロ・テイラー(米国)らと争った予選第3組で5着に入った。ゴール直後、岸本は頭を抱え、悔しさを露わにした。準決勝への自動通過ラインとなる順位(4着以内)での予選突破はならなかったからだ。それでも49秒51のタイムで、全体17番目に入り、日本人として11大会連続準決勝進出を果たす。苅部俊二や為末大ら偉大な先輩たちが紡いできたバトンは辛うじて繋いだ。

 しかし、「失うものはない」と挑んだ準決勝第1組では50秒05の7着。決勝に進む8名には残れなかった。タイムでも48秒台を目指していた岸本はこの成績に不満を感じていた。「大舞台を経験できたことくらいで、手応えはなかった」と、大邱で自信を持ち帰ることはできなかった。彼が海外のトップ選手たちと対戦し、痛感した差は、走力――。岸本自身が「猫とチーターぐらい違う」という歴然とした力の差を埋めないことには、この先、勝負はできない。結果とタイムには、到底納得がいかなかったが、世界との距離を肌で感じることができた。この敗戦は岸本のターニングポイントとなった。

 そして迎えた今シーズン、課題の走力不足を補うために冬場から徹底的に走り込んだ。さらに法大のOBであり、現在も同大で練習を積んでいる金丸祐三(大塚製薬)に頭を下げ、合同トレーニングを重ねた。金丸は男子400メートルで日本選手権8連覇中のトップスプリンターだ。岸本は「ただ、ついていくだけで練習になります」と、高いレベルに触れることによって、走力アップを図った。加えて金丸には、岸本の走りについて、気づいた点があれば指摘してもらった。練習メニューにおいても、“最初の入り方に意識を持ってやろう”“今日は距離だけをこなして、肺に刺激を入れろ”などと、アドバイスをもらった。「人間的にも心に余裕があり、頼れる先輩です」と、私生活でも面倒をみてもらっている3歳上の兄貴分は、パートナーであると同時に、コーチのような存在でもある。

 一方の金丸も岸本について「お互いに相乗効果が生まれていて、いい関係なんじゃないかなと思っています。どうしても他の学生だと、勝負にならないところがある。そういった意味で岸本がいてくれると、すごく心強いですね」と厚い信頼を口にした。「元々、持っている能力が高かったですし、着実に伸びていく印象はありました。それが形になってきているんだと思います」と、金丸が語る。その言葉通り、2012年、走力を磨いた岸本は結果を出した。

 お守りがもたらした!? 勝利のシーズン

 今年1月、岸本は実家のある青森に戻ると母親からお守りをもらった。母親は大学入学後から彼が正月に帰郷するたび、地元の神社でお守りを新調し、手渡しているのだ。いつもは“渡航安全”“交通安全”などのお守りだったが、今回は “勝”という一文字が入ったものだった。母親によれば、いつも買っているお守りがなく、偶然手にしたものだという。その神のご加護が追い風となったのか、岸本はそれから連勝街道をひた走った。文字通り“勝”のシーズンとなったのである。

 5月に行なわれた静岡国際では、昨季世界ランク10位のジョニー・ダッチ(米国)ら海外勢に競り勝ち、48秒88をマークして優勝した。それは昨年の同大会で記録した49秒27の自己ベストを更新するものだった。日本人の48秒台は成迫健児(ミズノ)以来、2年7カ月ぶりの快挙だ。このタイムは、ロンドン五輪参加標準A記録(49秒50)を優に突破するものだった。さらにその3日後、川崎ゴールドグランプリに出場した岸本は、49秒31で再びダッチを振り切り優勝した。2レース連続でA標準を上回るタイム、加えて昨年は2位だった両大会を制覇した岸本は確かな自信を手にしていた。

 そして迎えた6月の日本選手権、既にA標準を突破している岸本にとっては、優勝すればロンドン五輪の代表に内定する。前年度の王者であり、当然、周囲の期待は大きい。その重圧に耐えきれず潰れてしまう選手もいるだろう。だが、彼にはそれに動じないメンタルの強さがあった。「すごくいい緊張感で、試合を楽しめました」と語った通り、むしろ集中力は増した。予選は全体3位、準決勝は1位と危なげなく通過。予選では為末、成迫の実力者たちが脱落していた。新旧交代――。今大会はその鐘の音を告げるレースでもあった。決勝は出場選手中8人中7人が大学生とフレッシュな顔ぶれだったが、6人が準決勝までにA標準を突破するという極めてハイレベルな代表争いとなった。ここで燃えないはずはなかった。

 岸本はスタートの号砲から勢いよく飛び出すと、今までにない感覚を味わったという。「走っていて体がどんどん進む感じがしていました。後半は体が軽かったですね」。終盤以降は彼の独壇場となった。他を寄せ付けない圧倒的な走りで2位に1秒近い差をつけての連覇を達成。自己ベストを更新した48秒41のタイムは日本歴代5位の記録となった。ゴール後は、先に8連覇を果たしていた金丸と抱き合い喜びを分かち合った。スタンドに向かって雄叫びをあげるなど、感情を爆発させた。かつては「観るもの」と思っていた五輪が、「参加するもの」に変わった瞬間だった。

 日本選手権で叩き出した優勝タイムが今季の世界ランク5位だったことで“日本人初の五輪ファイナリスト”“表彰台も狙える”と、メディアの期待は高まる一方だった。それでも「みんなバラバラの状態で、違う場所で走っての記録なので、同じところで競うべきかなと、考えています。まずは予選から勝負します」と、岸本は浮足立つこともなくいたって冷静だった。

 ロンドンでの挫折をバネに

 しかし、ロンドン五輪のレースまで2週間前と迫ったある日、岸本に悲劇が訪れる。山梨での国内合宿で左ハムストリングスの肉離れを起こしてしまったのだ。そこから一旦は回復に向かったが、時差調整でドイツ入りした直前のフランクフルト合宿でケガを再発させてしまう。ドクターの診断は全治1カ月。それでも周囲の尽力の末、本番当日はなんとかスタートラインに立った。2レーンに登場した岸本の左太腿に分厚く巻かれていたテーピングが、故障の状態の深刻さを物語っていた。以前は肘を骨折し、ギブスをつけたままレースに出たこともあった。しかし、ハードラーにとっての足は、翼のようなものだ。

 当然、痛めた左足は言うことをきかずスタートから出遅れた。さらに最初のハードルで足を引っかけてしまう。距離を重ねるごとに、痛みは増していき、みるみる他の選手に離されていく。本人も「経験した記憶がない」ぐらいの屈辱的な大差だった。それでも「日本代表として来ているので、情けないですけど、最後まで走り切りたい気持ちが大きかった」と、苦痛で顔を歪ませながらも走り抜いた。この組のトップの選手とは7秒以上離され、最下位でゴール。結果は、ハードルを跳躍した際に違反があるという判定で失格となった。手負いの鷹は、ロンドンで羽ばたくことはできなかった。しかし、彼は下を向いてはいない。テレビのインタビューでは、関係者への謝辞を述べた後、「これから強くなっていく自信はあります」と、前を見据えて語っている。それは岸本にとって、強がりではなく「このままでは絶対に終われない」との明確な決意表明であった。

 実は岸本にとって、400メートルハードルという競技種目は、その距離の長さから「絶対やりたくなかった」ものだった。しかし、今では、「自分の勝負できる種目」との自負がある。彼にはハードルが障害という感覚はなく、ハードリングに関しては「得意」と言えるまでになっている。今ではハードルなしのフラットレースの方が、「疲れる」と語るほどだ。ハードルがなくても、リズムがそれを覚えて走ってしまうほど、体にはハードラーとしての感覚が染みついている。

 そんな岸本は「今の自分があるのは苅部監督のおかげ」と、ここまで成長させてくれた恩師に対する感謝を口にしてやまない。法大陸上部の練習は自由な雰囲気で知られている。それは「自分自身の意思でできるような選手になって欲しい」との苅部の思いがあるからだ。自身の指導法については、「個人の感覚を一番大事にしています。本人の感覚以上のものを僕は持つことができない。それを大切にしたいんです。ですから、僕はある程度ヒントを与えて、あとは自分たちで考えさせています」と語る。それについて岸本は「ほとんどが自己責任になるので、そういう意味での厳しさはあります」と話す。それでも、同大の方針は彼にはマッチしていた。岸本は、自分の力を引き出してもらった恩義を感じている。その恩返しとして、現役時代の苅部の記録48秒34を抜くことが、当面の目標だ。

 指導する苅部は岸本の強みをハードリングの巧さだと言い、そのレベルは「世界でもトップクラス」と太鼓判を押す。先日、引退をした為末でさえもその技術の高さには一目置いている。苅部は岸本の今後の課題を「まずは精度を高めること」と、日本選手権で出した48秒中盤のタイムをコンスタントに出せるようになることをあげた。「その先は、その先である」と具体的には語らなかったが、その先には自身の記録を抜くこと、さらには10年以上破られていない日本記録47秒89の更新が見えてくる。47秒台――。これが世界のトップハードラーたちと肩を並べる数字だ。今は現実的な記録ではないかもしれない。しかし、いずれは越えなければならない壁である。

 来夏には世界陸上がロシアのモスクワで開催される。昨年は、力の差を見せつけられた大舞台。その敗戦の借りはここで返すしかない。さらに2年後の2015年には世界陸上・北京大会が控えている。世界との差をどこまで縮められるか。今夏、五輪の神様は“むつの鷹”に大きな試練を与えた。それはリオデジャネイロへ向けて、高く飛ぶために課されたハードルなのかもしれない。美しいフォームで、岸本らしく飄々と跳び越えていく――。世界へと羽ばたく岸本鷹幸のハードラー人生は、まだゴールテープを切っていない。

(おわり)

>>前編はこちら

岸本鷹幸(きしもと・たかゆき)プロフィール>
1990年5月6日、青森県生まれ。小学4年で陸上競技を始め、中学から110メートルハードルの専門になる。大湊高校で、400メートルハードルに転向。高校3年にはインターハイ、大分国体(少年A)、日本ジュニア選手権を制し、3冠を達成した。法政大学進学後は、09年に日本ジュニア選手権を連覇し49秒台(49秒86)をマーク。11年には、日本選手権で初優勝を飾った。同年のユニバーシアードでは銀メダルを獲得。世界選手権では準決勝進出を果たす。今年は静岡国際、川崎GPなどを制すると、日本選手権では日本歴代5位の48秒41で連覇を達成した。ロンドン五輪日本代表。171センチ、61キロ。

☆プレゼント☆
岸本選手の直筆サイン色紙をプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「岸本鷹幸選手のサイン色紙希望」と明記の上、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しい選手などがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。

(杉浦泰介)


◎バックナンバーはこちらから