「Crying Queen(クライング・クイーン)」――6年前のとある時期、平井美鈴は所属する「東京フリーダイビング倶楽部」のメンバーたちにそう呼ばれていた。きっかけは2006年12月にエジプトで行なわれた世界選手権だった。初めて日本代表として出場した平井は、その大会で「コンスタントウエイトウィズフィン」という種目で日本新記録となる61メートルを達成した。水面に上がると、「おめでとう!」という声とともに拍手が沸き起こった。感極まった平井は、その場で号泣したという。あまりの号泣ぶりに日本のフリーダイビング界の第一人者でもある市川和明に「オマエはCQだ!」と名付けられたのだ。
「そう呼ばれるのは恥ずかしくもありましたけど、嬉しかったりもしたんですよね(笑)」
 初めて日本記録保持者となった平井への愛情のこもった“贈り物”だった。

 その後、平井は毎年、日本代表として世界選手権に出場している。08年には日本人初のメダルとなる団体戦銀メダル、10年には団体戦初優勝にもメンバーの一人として大きく貢献した。個人でも10年に75メートル、昨年は82メートルと自己ベストを更新。世界でも「平井美鈴」の名は着実に浸透してきている。しかし、ここまで順風満帆だったわけではない。06年に初めて日本記録を更新して以降、約3年間は少しずつ距離を伸ばしてはいたものの、なかなか70メートルの壁を越えることができなかった。

「深くなればなるほど、いかに心静かに集中力を保つことができるかということが重要になるんです。ところが、無意識に距離を測っていて、『そろそろ、70メートルにいくかな』と思うと、集中力が切れてしまう。心が乱れれば、技術も乱れてしまので、うまく耳抜きができなかったり、せっかく口の中に貯めていた空気をゴクンって飲んじゃったり……。3年ほどは、そんなことを繰り返していましたね」

 ようやく70メートルの壁を突破したのは、09年12月にバハマで行なわれた世界選手権。平井は72メートルまで日本記録を伸ばした。それが、「フリーダイバー平井美鈴」の次なるステージへのスタートだったのかもしれない。

 アスリートたちとの出会い

 2011年10月26日、平井は緊張した面持ちで審査員の前に立っていた。「第1回マルハンWorld Challengers」の最終オーディション。書類審査に合格した14組のアスリートたちが支援金獲得のため、自らをアピールした。一見、落ち着いているように見えた彼女だが、知人から見れば、ひどく緊張していることは一目瞭然だったという。
「それまで経験したことのない大きな舞台に、圧倒されてしまって……。言いたいことをちゃんと伝えられるかどうか不安だったのですが、自分自身の競技への熱意や情熱、そしてこれからさらに記録を伸ばすことができる可能性を感じているということを、精一杯伝えようと思いました」
 果たして、平井は100万円の支援を受けることが決定した。自分の名前が呼ばれた瞬間は安堵の気持ちから、一気に血の気が引いていくのを感じたという。

 実際、支援金はどのように使われているのか。
「フリーダイビングの練習はどこでもできるというわけではないんです。海での実戦練習なら、関東では神奈川県の真鶴まで行かなければいけません。そうすると、移動費だけでも結構かかってしまいます。マルハンさんからの支援金は、こうした日々のトレーニングに大事に使わせていただいています。おかげで安心してトレーニングをすることができる。私にとってはお守りみたいなものです」

 さらに、平井が得たものは支援金だけではなかった。オーディションで出会った、さまざまな競技のアスリートたちとの交流は、今では彼女にとってかけがえのないものとなっている。
「応募しなければ、絶対に知り合うことができなかった人たちだと思うんです。資金難でも頑張っているという共通点があるので、分かり合える部分も多いし、逆に私の知らない世界のことをいろいろと聞くこともできて、学ぶこともたくさんあります。それに、『みんな頑張っているんだな』と思うと、モチベーションが上がるんです。みんなとの出会いは、私の宝物。World Challengersに応募して、本当に良かったと思っています」

 エジプトで得た“図太さ”

 World Challengersの支援金を使って、平井は今年5月、エジプトへと渡った。フリーダイバーのインストラクターになるための6日間の研修に参加したのだ。講師はイタリア人の元世界チャンピオン。フリーダイバーたちのカリスマ的存在だ。その研修は、平井の想像をはるかに超えていた。朝7時から夜11時まで、参加者に自由時間は一切ない。また、プログラムは突然のことが多く、ウォーミングアップも心の準備もままならないまま、潜ることを求められた。目まぐるしい毎日に、疲労困憊となり、ホテルに帰ってからはベッドに直行だったという。
「シャワーを浴びることもできないくらい疲れがたまりましたね。ボーッとして、洗顔料で歯を磨いていたこともありました(笑)」

 しかし、研修終了後、平井はこれまでとは違う自分を感じていた。ちょっとしたことでは動じない強心臓を手にしていたのだ。
「これまでは、潜る前には入念に準備をしていたんです。なるべく邪魔が入らないように、コツコツと積み重ねていって、一番いい状態で本番を迎える。それが理想でした。ところが、準備の途中で何か思いがけないことが起こったりすると、集中力が乱れてしまったんです。でも、エジプトに研修に行ってからは、いい意味で図太くなりましたね。多少のトラブルには動じなくなりました。『あんなに神経質に準備をしなくても、これくらいは潜れるもんなんだ』と。世界大会では、本当にいろんなことが起きるんです。時には理不尽なこともあります。でも、エジプトでの研修のおかげで、そういう時でもいつも通りのパフォーマンスが発揮できるようになったんじゃないかなと。フリーダイビングはメンタルの強さが試される競技ですが、その部分では今は海外の選手にも負ける気がしないですね」

 9月、平井はフランスで開催された世界選手権の団体戦に臨んだ。結果は見事、昨年に続いての連覇達成。聞けば、今回ははじめから金メダルを目指していたという。ミスさえしなければ、必ずや日本チームがトップに立つと確信していたのだ。しかし、だからこそのプレッシャーはあったはずだ。それでも平井は個人での総合ポイントがトップという最高のパフォーマンスをしてみせた。エジプトでの研修で得た“図太さ”が少なからず影響を及ぼしていたことは言うまでもない。

 継承されるフィロソフィー

 今大会、日本チームは金メダル以外に、表彰されたものがある。最も優れた団結力を発揮したチームに贈られる「ルイーク・ルフェルム賞」だ。「ルイーク」とは大会会場となったフランス・ニースを拠点として活躍していた元世界記録保持者の名前だ。07年にこの世を去った彼が大事にしていたのは、仲間。実は個人競技であるフリーダイビングだが、決して一人の力だけで成せるものではない。常に危険と隣り合わせの競技であるが故に、潜る方は細心の注意を払い、そして周囲はもしもの時に備える。パフォーマンスは、こうした“一体感”によって生み出される。ルイークはその“一体感”をよく理解していたダイバーの一人だった。そんなルイークに敬意を表し、その精神を引き継ごうと、この賞が生まれたのだ。

 日本チームが「ルイーク・ルフェルム賞」を受賞したことは、先輩の市川にとっても感慨深いものだった。実は市川は現役時代、ルイークと親交があったのだ。まだ日本人ダイバーの存在が世界では確立されていなかった当時、外国人選手からは理不尽なことを言われることも少なくなかった。そんな中、ルイークをはじめとするフランスのチームはフレンドリーに接してくれたという。

(写真:団体での金メダルとチームワークを称える「ルイーク・ルフェルム賞」の受賞を喜ぶ平井<左>と市川)
「僕が初めての世界大会でルイークに会った時、彼が世界記録保持者だなんて、全く知らなかったんです。そんなこと、彼は微塵も出しませんでしたからね。ルイークをはじめ、フランスチームは、フリーダイビングの情報が全くない国から来た僕に、道具や技術について、何でも教えてくれました。大会では相手国なのですが、そんなこと一切関係無しでした。一番に彼らから教えてもらったのは、仲間を思いやる大事さでした。だから、そのルイークの賞を日本チームが受賞したというのは、本当に嬉しいですね」
 市川がフランスチームから学んだフィロソフィーは、平井をはじめ、日本の若きダイバーたちにしっかりと継承されている。「ルイーク・ルフェルム賞」はその証である。
 
 自らの可能性を信じて……

 7年前までは海水浴に行っても、足のつかない深さのところには怖くて行くことができなかった平井が、今や世界の舞台で表彰台に上がるほどのフリーダイバーにまで成長した。25メートル泳ぐのがやっとだった頃から近くで見てきた市川は、彼女の成長をこんなふうに語っている。

「いつの頃からか、平井は潜っても泣かなくなりましたね。以前は、必ず終わった後に感極まって泣いていたんです。でも今は、すごく冷静です。泣くということは、感情がコントロールできていないということですから、まだメンタルが弱い証拠なんです。もちろん、泣く時もあるとは思いますよ。でも、平井は毎回のように泣いていましたからね。それだけ余裕がなかったんだと思います。今は少し大人になったかな(笑)」
 今、市川は平井を“CQ”とは呼んではいない。

 11月にはバハマで個人戦の世界選手権が行なわれる。平井は今、そこで90メートルの壁を突き破るつもりだ。そして、ゆくゆくは世界記録101メートル越えを狙っている。
「今の世界記録保持者は、50代の選手。その人にしてみたら、私なんて、まだまだ若造なんです。フリーダイビングはメンタルの要素が大きいスポーツ。年齢を重ねた強さがものをいうんです。自分自身、まだまだ伸びる可能性を感じています」
 フリーダイバーとして、そして人間としての成長を感じながら今、平井は世界に挑戦し続けている。

(次回は車いすランナー・西田宗城選手を取り上げます。前編は10月17日更新予定です)
>>前編はこちら



平井美鈴(ひらい・みすず)
1973年1月30日、東京都生まれ。現在は千葉県在住。「東京フリーダイビング倶楽部」に所属。2003年よりフリーダイビングを始め、06年に日本代表として初めて臨んだ世界選手権(エジプト)では、コンスタントウエイトウィズフィンで日本新記録61メートルを樹立した。以降、毎年世界選手権に出場し、08年には日本人初のメダルとなる団体戦銀メダルを獲得、10年には団体戦初優勝すると、今年9月には連覇を達成した。昨年は日本・アジア記録の自己ベストを82メートルまで更新し、個人で銅メダルを獲得。今年は90メートル台に挑戦し、ゆくゆくは世界記録101メートルが目標だ。インストラクターとしても活躍し、今年、「プールナ フリーダイビング スクール」を設立。競技の普及活動や、海の環境保全活動も積極的に行なっている。

『第2回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、7名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(8月28日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(斎藤寿子)
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