日本トライアスロン連盟は、23日に中国で行われる大会への選手派遣を取りやめた。主催者側から「安全が保証できない」なるメールが届いたのが理由だという。
 ひっくり返った。
 つまり中国側の主催者は、「我々はスポーツと政治を切り離して考えることのできない国である」と宣言したことになる。スポーツに携わる者としては「安全を保証できない」ということがどれほど異常で、どれほど民度の低さをさらけ出すことか、十分に理解したうえでの苦渋の宣言だったと思いたいが、果たして、どうか。彼らが日本人選手欠場の理由を諸外国のメディアにどう説明するかは、非常に興味深い。

 一方で、日本スケート連盟の橋本聖子会長はフィギュアGP中国杯への選手派遣を見送る可能性を示唆したという。こちらがスポーツと政治は別だと考えていても、そうは思わない人たちがいる以上、選手の安全を考えるのは会長として当然の判断でもある。

 ただ、スポーツの原点に立ち返るならば、つまりスポーツをすることは人間にとっての基本的権利であるとの発想に立ち返るならば、中国へ行くか行かないかの最終的な決断は、選手たちに委ねられる国であってほしいとも思う。国が、お上が決めました。だから行きません……ではどこかの国と変わらない。

 五輪ではメダルを量産しまくった旧共産圏諸国も、なぜか、W杯の優勝には手が届かなかった。マジック・マジャールと言われたハンガリーも、黒くもヤシンを擁したソ連も。
 なぜか。
 資金力ではすでにJリーグを圧倒し、世界中から大物外国人が集まってきている中国だが、代表チームは今回も早々とW杯予選から姿を消した。かつて日本の関係者が警戒したほどに彼らは強くなっていない。
 なぜか。

「日本の高校生は合宿に行く時、いつ行くか、どこへ行くか、どうやって行くか、いくらで行くか……全部先生が決めてる。そんな選手が、試合の時だけ“自分で考えろ”って言われても、考えられるはずがない」
 いまから25年ほど前、セルジオ越後さんからそう言われたことがある。当時は純粋に日本サッカー界の問題点を指摘しただけの言葉だと思っていたが、どうやら、もっと大きな問題にも当てはまる言葉だったらしい。

<この原稿は12年9月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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