サン・ドニに乗り込んでフランス代表と戦う。中立地とはいえ、ベストメンバーのブラジル代表と勝負する。日本人に限らず、多くのサッカー選手にとって胸躍るシチュエーションであることは間違いない。それだけに、直前で離脱を余儀なくされた前田は痛恨の思いでいっぱいだろう。その心中は察するに余りある。
 だが、ザッケローニ監督の心境はまた違うはずだ。
 監督就任以来、彼は日本代表を史上最も輝かしい時代へと導いてきた。少なくとも、いまのわたしは彼を批判する言葉をまったく持ち合わせてはいない。こんなにも美しく、頼もしい日本代表を見せてもらったことは一度もなかった。

 ただ、代表監督は批判されて当り前、という状況が長く続いてきたからなのか、最近になってあえてザッケローニの弱点、欠点を探そうとする動きが出てきている。そして、まず言われるようになったのが保守的な選手起用であり、その象徴として名前が挙がったのが、Jリーグでゴールを量産しながら、なぜか代表には招集されない佐藤寿人だった。

 監督とは因果な商売で、同じメンバーを使い続ければ保守的すぎると批判され、いじりすぎると節操がないと叩かれる。そのことはザッケローニ監督も十分にわかっているはずだが、同時に、佐藤寿人の存在が自分に対する“火種”となる可能性も、また感じていたはずである。

 そんな状況で起きた前田の離脱――。

 これはあくまでも推測だが、ザッケローニ監督は佐藤や名古屋の永井といった瞬間的、もしくは爆発的な速さを持った選手は、W杯本番にまでとっておきたかったのではないか、と思う。絶対的な武器を持つ彼らは、他のタイプの選手ほどには周囲との連係やボールの保持率にしばられない。よって、自分たちが優勢に試合を運ぶことのできるアジアでは彼らを使わず、劣勢もあるW杯で起用する――そんな絵を描いていたのでは、という気がするのだ。

 アジア杯準決勝の韓国戦で、ザッケローニ監督は守りを固めて逃げきろうとして失敗した。以後、彼は同じ失敗を繰り返さなくなった。頑固だが、教訓は柔軟に取り入れる――そんな人間にとって、前田の離脱は「失敗なき教訓」を与えてくれる機会となるかもしれない。ここで佐藤が結果を出せば、ザッケローニ監督と日本代表は、前田の代わり、ではなく、前田とはまるで違った選択肢を一つ、獲得することとなる。

 最後に私事で恐縮だが、9日に長男が誕生した。ここで紙面を借りて、メールや電話等、数々の祝福の言葉をお贈りくださった皆さまに夫婦ともども御礼申し上げたい。ありがとうございました。

<この原稿は12年10月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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