9月11日、埼玉スタジアムで行われたワールドカップ最終予選第4戦の日本代表対イラク代表戦で日本は香川真司を欠いたものの、本田圭佑、清武弘嗣、岡崎慎司、長谷部誠など欧州でプレーする選手を揃え、ほぼベストメンバーで臨んだ。
 一方、イラクは前の試合から大きくメンバーを入れ替え、招集メンバー23人のうち7人が23歳以下の同国代表の選手だった。
(写真:CSKAモスクワ時代のジーコ。予想外の采配はザックジャパンを苦しめた)
 試合前日の記者会見で、ジーコは日本戦への準備が万全ではないことを認めた。負けず嫌いで、弱みを見せるのが嫌いな彼には珍しいことだった。
「一昨日4人の選手が、そして昨日になって1人の選手が合流することが出来た。今いる選手の中で、最もフィジカルの状態の良い選手を選んで、先発メンバーを組むことになるだろう」

 そして、「練習試合で起用していた若い選手の名前は?」という質問に「教えられない」と首を振った。
 その言葉の意図は翌日分かった。イラクの中心選手であるナシャト・アクラム、そして不動のセンターフォワードであるユニス・マフムードが先発メンバーから外れていたのだ。ナシャトは、アテネ五輪で4位となった時の一員であり、ユニスも同五輪代表であり、さらに2007年のアジアカップで優勝した時の得点王、MVPである。

 3月に会った時、ジーコはユニスについてこう評していた。
「彼は万能型のセンターフォワードだ。イラク代表はずっと彼のワントップで、ツートップさえ試したことがない。他にオプションがないのは不安なので、(3次予選最終戦の)シンガポール戦でユニスを途中で外して若手選手を入れることを考えていた。ところが、その試合で彼は3得点も挙げた。彼にはイラク代表を支えてきたという自負がある。そうした選手が結果を出している時に下げることなんてできないよ。だから、若手を試すことが出来なかったんだ」
 今回はそのユニスを外してきたのだ。彼のコンディションが余程悪かったのかもしれない。しかし、それにしても、主力選手のプライドを重んじるジーコにとっては大きな決断だったことは間違いない。

 両チームの状態を考えれば、日本の圧勝のはずだった。ところが試合開始から、イラクは激しくボールを追いかけた。前半25分に岡崎慎司のクロスを前田遼一が合わせる絶妙なゴールが決まり、1対0で日本が勝利したものの、終始重苦しい試合となった。
 イラクの選手はアウェーでリードを許す不利な状況に陥っても、何とか得点しようと前を向いた。そんな彼らを見ていると、ジーコの言葉を思い出した。

「イラク国内リーグのレベルはそれほど低くない。ただ、環境がひどい。ぼくは見に行っていないのだけれど、(フィジカルコーチの)モラシーと(兄でコーチの)エドゥーが見に行っている。土のグラウンドや人工芝でプレーしている。人工芝といっても、古い絨毯のようなひどい代物だよ。1つ芝のピッチがあるのだけれど、そこばかり頻繁に使うので、傷んでいる。試合中継は、机と椅子があってアナウンサーが1人、マイクの前に座っている。更衣室がないので、選手たちはバスで到着してそのままピッチに直行する。そんな状態だ」

 選手の潜在能力を活かす指導者もいないという。
「彼らは本能だけでプレーしている。練習内容を調べても、フリーキック、あるいはクロスボールからのシュートなどをやっていないようだった。基礎的なことをきちんと伝える必要があった」

 代表を底上げするためにジーコが考えたのは、国外リーグでプレーしている選手を活用することだった。多くのイラク人が国外へ散らばっていた。その子どもたちは、イラク代表に入ることの出来る権利を持っていた。
「すでにぼくの前任者が、欧州でプレーしているイラク人選手のリストを作っていた。その中で何人かを集めてイラクで合宿を行っていた」
 日本戦の先発メンバーに抜擢された、9番のアハメド・ヤシーンはそうした選手の1人だった。

 ヤシーンは、91年にイラクの首都バクダッドで生まれた。3歳の時、一家はスウェーデンに移住、5歳の時に、兄たちとサッカーを始めた。16歳の時、BKフォワードという3部リーグのクラブでプレーするようになった。やがて頭角を現したヤシーンは2011年、地元の1部リーグのエレブロSKへと移籍した。同年6月にイラク代表の代表合宿に呼ばれ、23歳以下の代表にも選ばれた。

 ヤシーンともう1人、日本戦に招集されたイラクの“海外組”が8番のオサマ・ラシッドである。イラク北部のキルクークで生まれ、オランダで育ったラシッドは早くから将来を嘱望されたミッドフィールダーだった。08年に名門フェイエノールトとプロ契約を結んだ時、リバプールやアーセナルといったプレミアリーグのクラブも興味を示していた程だった。16歳以下のオランダ代表に招集され、17歳、19歳以下の代表にステップアップしている。現在は、ドイツのベルダー・ブレーメンのリザーブチームに所属している。

「彼はイラクとオランダの両方の国籍を持っている。オランダのフル代表には入っていないから、ぼくたちが目をつけた時はイラクの代表にも入る権利があった」
「イラク代表に入るように強く誘ったの?」と尋ねると、ジーコは悪戯っぽく笑った。
「ぼくだったらオランダを選んだかもね」
(写真:日本は来年6月にジーコ・イラクと2度目の対戦を迎える)

 今年5月、正式にラシッドのイラク代表入りが認められた。
「イラクサッカー協会は欧州でプレーするイラク人選手の情報を持っていなかった。YouTubeで各国の試合映像を見ることができる。ぼくたちはそうした映像を探して、リストを作って協会に渡したんだ」

 日本戦でラシッドの出場機会はなかったが、彼らのような若きイラクの“海外組”はまだ存在している。ジーコと兄のエドゥーは、こうした若手の目利き、育成を得意としている。ジーコの体制が固まっていない早い時期に、勝ちを要求されるホームで対戦したことは日本にとって幸いだったのかもしれない。

(おわり)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に勤務。2000年より退社して、文筆業に入る。『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)など著書多数。最新刊は、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社 2011年12月2日発売)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 招聘研究員。携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。
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