第1回の「マルハンワールドチャレンジャーズ」から、この夏のロンドン五輪では3選手が出場した。その中で日本人女子では初めて近代五種で大舞台に立ったのが黒須成美だ。近代五種はフェンシング、水泳、馬術(障害飛越)、コンバインド(射撃とランニング)の順で全く異なる5種目を1日でこなし、順位を決める。日本ではなじみが薄いが、欧州では“キング・オブ・スポーツ”と称されるほどの人気競技だ。34位に終わったロンドンを踏まえ、さらなる飛躍を誓う21歳に、二宮清純がインタビューした。

 うれしかったスタンディングオベーション

二宮: 五輪から早いもので3カ月が経ちました。初めての大舞台はいかがでしたか。
黒須: 極度の緊張もなく、いい雰囲気で試合に臨めました。ただ、結果は自分の目標に届かず、悔いも残った大会になりましたね。

二宮: 結果は34位。途中、馬術で落馬もあり、大きく順位を落としてしまいました。
黒須: 乗る馬は抽選で決まるのですが、本当はとてもいい馬だったんです。バーにもひっかけないで足を上げてくれるし、踏切もちゃんと合わせれば跳んでくれる。でも、私の技術が足りず、乗りこなせませんでした……。

二宮: 落馬した瞬間は頭の中が真っ白になったりしませんでしたか?
黒須: 焦りはなく、なぜ落ちたのか、原因はすぐに分かりました。でも、落ちてしまったことを考えていても仕方がない。とにかく、すぐに乗って競技を続けることに頭を切り替えました。

二宮: ゴールでは36人中34位ながら会場の観客からは大声援を受けましたね。
黒須: お客さんは本当に温かかったですね。もう上位はとっくにゴールしていて、イギリスの選手も銀メダルを獲っていましたから、最初は観客の拍手が私に向けられたものとは思いもしませんでした。でも、ゴールの瞬間にスタンディングオベーションが起こって私に対するものだと気づき、本当にうれしかったです。

二宮: 近代五種はヨーロッパでは盛んですから、競技に対する見方も日本とは全く異なるのでしょう。
黒須: 最初の入場時には音楽がかかったり、会場を盛り上げる演出もしていますからね。馬術では観客からウェーブが起こったり、みんなが競技を楽しんでいる。女子の近代五種は今回の五輪で最後に行われた競技だったので、海外の選手が声をかけてくれて、全員でウイニングランをしたんです。まさにお祭りのような雰囲気を味わいました。

二宮: 悔しい気持ちはありつつも、また、この舞台に立ちたいとの思いを強くしたのでは?
黒須: 普段の大会は観客が多くても500人とか1000人ですが、今回の五輪には25,000人が詰めかけたそうです。歓声が地響きのように伝わってきて、競技中に私もすごくパワーをもらいました。今度は、もう一回りレベルアップした姿で、あの声援を浴びたいなと思っています。

 切り替えられなかった最初のつまずき

二宮: 最初の五輪で雰囲気は分かったでしょうから、4年後は結果にこだわると?
黒須: はい。ただ出るだけではなく、もっと上位を狙いたいし、ゆくゆくはメダルを獲りたいという気持ちです。

二宮: 近代五種で最初の種目はフェンシングです。フェンシングもヨーロッパが本場ですから、世界の壁は厚いのでは?
黒須: やはり、ヨーロッパは競技が盛んですから、どの選手もきれいなフェンシングをしますね。相手にペースを握られてしまって、想定したよりも全然勝てませんでした。

二宮: 次の水泳はどうでしたか?
黒須: この競技で求められるのは、切り替えの速さです。1つの種目でうまくいかなくても引きずらず、目の前のことに集中する。でも、なぜかロンドンではフェンシングのつまずきから立ち直れませんでした。おそらく焦りからかムダな動きも多かったのでしょう。体も余計に疲れた感じがしましたね。だから水泳も体が動かず、タイムも伸びませんでした。

二宮: そして次の馬術で落馬してしまったわけですが、あえて今回の五輪で良かった点を挙げるとすれば何でしょう?
黒須: 正直、どの種目も満足いくものはありませんでした。強いて良かったところをあげるなら落馬した馬術ですね。というのも能力の高い馬で落馬をしたことで、逆に私の弱点や足りないところを勉強できました。実は同じ馬に乗ったロシアの選手は世界ランキングで10位台の実力を持っていたのですが、同じように乗りこなせず、ゴールできなかったんです。でも私はなんとか馬によじ登って、最後まで競技を続けられた。ただ落馬しただけでは終わらなかった点は次につながると感じています。

二宮: 4年後に向けては全体的な力を上げることが課題になると?
黒須: そうですね。フェンシングでは積極的に先手をとって勝てる力をつけたいですね。全選手総当たりですから、上位に入るためにも7割は勝てるようになりたい。泳力、走力もタイムを上げることが必要です。射撃に関しても練習でいくらパーフェクトで撃てても、プレッシャーがかかった中で正確にできなくては意味がない。いかに日頃から試合の状況に合わせて集中して撃てるかを追求していきたいなと思っています。

 強さがにじみ出ていたボルト

二宮: 選手村での生活は快適でしたか?
黒須: とても居心地がよく、滞在中は不自由なく過ごせました。選手村には自分たちの部屋の他に、みんなで集まれるフリースペースがあるので、調整から帰ったら、よくそこで他の競技の選手たちと話をしていました。

二宮: 話をする中から、競技に臨む上で参考になった点はありましたか?
黒須: 基本的には、たわいないおしゃべりだったんですけど、競技が終わったり、メダルを獲った選手から話を聞くと、やはり「気持ちの持っていき方が大事だ」と。ここまで来たら最後はメンタルの勝負になるんだと改めて感じましたね。

二宮: 外国の有名選手にも会ったりしたでしょう?
黒須: 陸上のウサイン・ボルト選手を見かけましたが、独特のオーラというか、強さが体からにじみ出ている感じがしました。同じアスリート同士なのに、ボルト選手がその場にいると周りが「キャー」と盛り上がる。海外の選手は積極的で、握手を求めたり、ボディタッチをしたりする人も多かったですね。

二宮: 競技は最終日でしたが、ロンドン入りしたのは?
黒須: 6日前です。調整は順調でしたが、近代五種の指定されていたトレーニング場が選手村からはバスで1時間程かかるところだったんです。バスの出発時間が決まっていて本数も少ないので、乗り遅れると、その日は練習場には行けなくなってしまう……。

二宮: それは不便ですね。バスに乗り遅れることはなかったですか。
黒須: 実は1回だけ乗り遅れてしまったんです(苦笑)。バスの時間がはっきりしなくて乗り場に行ったら、もう出発していました……。その日は仕方ないので、近くをジョギングして、日本のマルチサポートハウスに行って体のケアをしてもらう時間に充てましたね。

二宮: ロンドンでは日本代表を支援するサポートハウスが役立ったという声をよく聞きます。
黒須: 選手村から歩いて10分ほどですし、中にはレスリング場もあって、日本の選手はそこで練習をしていました。食事も日本食が出ますし、マッサージも受けられる。サポートハウスに行けば、必要なものはだいたい揃っていましたね。

 知り合った選手たちが刺激に

二宮: では、実際の競技場では練習できなかったのでしょうか?
黒須: どの種目も直前まで、それぞれの競技で使われていたので、実際の会場には入れなかったですね。だから水泳の練習をしたければ、やはり用意されているトレーニング場に1時間かけて行かないといけませんでした。

二宮: トレーニング場に行けば、馬術も含めて一通りの練習はできたと?
黒須: はい。ただ、馬術は日本は申請していなかったので練習ができませんでした。私としては直前まで馬に乗って感覚をつかんでおきたかったのですが……。他の国は練習できていただけに歯がゆかったですね。

二宮: 現地で馬に乗れなかったのは不安でしょうね。微妙な感覚が鈍ったことが落馬の一因になったかもしれません。
黒須: 今回は初めてだったので、分からないことが多かったのですが、次のリオデジャネイロでは同じ失敗を繰り返さないように、しっかり準備をして臨みたいと思います。

二宮: 近代五種はお父さんの誘いで始めたそうですが、五輪には応援に来られましたか?
黒須: はい。前日の朝に会った時には「今まで苦しいトレーニングをやってきたんだし、最初の五輪だから楽しんでこい」と励まされました。私があまりプレッシャーを感じないように、気を遣ってくれたのだと思います。

二宮: 今回、マルハンワールドチャレンジャーズでは黒須さんのほか、トランポリンの伊藤正樹選手、ピストル射撃の小西ゆかりさんと3名が五輪に出場しました。刺激になる部分もあったのでは?
黒須: 選手村で会って、おしゃべりをすることもありましたし、知っている選手がいたのは心強かったです。それまでは全く接点がない中、このプロジェクトを機に、いろんな選手と知り合い、参考になる話を聞けたことは、きっと今後の競技においても役立つと思っています。

(後編につづく)


黒須成美(くろす・なるみ)
1991年10月22日、茨城県生まれ。東海東京証券所属。小学1年から水泳を始め、小学6年時に近代五輪の選手だった父に誘われて出場した大会で初出場、初優勝を収める。中学から競技に本格的に取り組み、06年のアジア選手権では、日本人女子史上最高位の5位入賞。その後も着実に成長を遂げ、10年に初めて開催された第1回全日本選手権大会で初代優勝を手にする。翌11年の全日本選手権も圧倒的な強さで連覇。同年に行われたアジア選手権では6位に入り、山中詩乃とともに同競技では日本人女子初の五輪出場を決める。今年のロンドン五輪では34位だったが、4年後のリオデジャネイロ五輪でさらなる上位が期待できる。身長160センチ。昨年の「マルハンワールドチャレンジャーズ」では協賛金200万円を獲得した。

『第2回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、7名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(8月28日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(構成:石田洋之)
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