上信越地区優勝、リーグ初優勝、そして独立リーグ日本一……2012年は新潟アルビレックスBCにとって、最高のシーズンとなりました。これも地域の皆さんの温かい声援があったからこそだと、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。僕が入団したのは球団創設2年目の08年。この5年間で、チームは本当に成長したと思います。その基盤をつくっていただいたのが昨季の橋上秀樹元監督であり、それを基に伸び伸びと野球をやらせてくれたのが今季の高津臣吾前監督でした。
(写真:初の日本一を決めた瞬間、喜びを爆発させる選手たち)
 08〜10年と3年連続で、新潟は地区チャンピオンシップで群馬ダイヤモンドペガサスに敗れ、リーグチャンピオンシップに進出することができませんでした。しかもプレーオフでは群馬に1勝も挙げることができずにいたのです。どうしてこれほどまでに勝てなかったのか。それは自分たちで「考える」ことができていなかったからに他なりません。それを教えてくれたのが、橋上さんでした。

 例えば、一塁にランナーがいたとして、どうすればランナーを進めることができるのか。まずはフライをあげるのではなく、ボールを上から叩いてゴロを打つことが大事になってきます。そして次にどの方向に打てばいいのかというと、三遊間ではなく、一、二塁間です。なぜかといえば、サードやショートに捕球された場合は一塁ランナーが二塁フォースアウトになる確率が高くなりますが、セカンドが捕球した場合は二塁に送球するには一度、二塁の方に向き直らなければならず、逆の動きが必要になります。そうすると、送球するまでに時間を要するので、一塁ランナーがセーフになる確率は高くなります。さらに一、二塁間への打球が抜けてライト前ヒットとなれば、一、三塁とチャンスを広げることができるのです。

 とはいえ、橋上さんが監督に就任したばかりの頃は、なかなかそれを実行することができませんでした。橋上さんの言っていることは頭では理解し、その通りに打とうという気持ちはあるのですが、それをするだけの技術が伴っていなかったのです。そこで橋上さんには「自分が打てる球だけでいい」と言われました。例えば、一、二塁間を狙う場合、左打者ならインコースのボールを引っ張ればいいわけです。ですから、アウトコースのボールは無理に打たずに捨てて、インコースのボールを待ちます。もし、それで徹底的にアウトコースを狙われた場合は、三振しても致し方ない。それは割り切っていい、と言われたのです。このように、根拠をもったプレーであれば、三振したり、ヒットを打たれることはやむを得ないという指導でした。これはバッティングのみならず、ピッチングにしても、守りにしても、同じ。つまり、ひとつひとつのプレーに対して「考える」ことが重要だということを教わったのです。

 最初は半信半疑だった選手たちも、試合を重ねていくうちに状況に対して敏感になり、考え、そして判断することができるようになると、結果が出始め、そして手応えをつかんでいきました。こうして橋上さんの指導の下、「考える野球」がチームに浸透し、強さの基盤を築いたのが昨季だったのです。

 そして今季、基盤のできたチームをさらに伸ばしていただいたのが高津さんでした。高津さんは、とにかく選手たちを伸び伸びとプレーさせてくれました。ミスをしても、決して叱ることはありませんでした。なぜミスが起こったのか、どうすればよかったのかを、しっかりと話をし、わかるまで教えてくれたのです。丁寧に指導してくれる高津さんに対して選手たちも「監督の期待に応えたい」と奮起し、その結果が成績として表れたのだと思います。

 チームの転機となったある日の“敗戦”

 とはいえ、最初からうまくいったわけではありません。前述したように、橋上さんの言っていることを理解しても、その通りにすることができずに苦しい時期もありました。チームの転機となったのは、昨季の前期でした。ホームでの試合でのこと、指示通りにプレーすることができず、ボロボロの内容で、橋上さんがお手上げ状態となったことがありました。橋上さんの指示は「強く叩いて転がせ」というものでした。ところが、選手は皆、フライを上げてばかり。挙句の果てにはサインプレーを見落としてしまうというミスを犯し、一生懸命に指導してくれた橋上さんをまるで裏切るかのような散々の内容だったのです。

 その日の試合後、橋上さんに稲葉大樹選手(安田学園高−城西大−横浜ベイブルース)と一緒に食事へと連れて行っていただきました。そこで僕はキャプテンとしてチーム全員の気持ちを代弁し、「みんな、監督から教えていただいたことを頭では理解していますし、一生懸命にやろうとはしているんです。でも、残念ながらまだそれができるまでに至っていません」と言いました。その言葉に橋上さんは「そうか、やろうとはしているんだな」と言われたのです。おそらく、選手の気持ちが橋上さんには伝わっていなかったのでしょう。

 逆に、僕たち選手も橋上さんの考えをまだ理解することができていませんでした。例えば、サインプレーについてです。選手たちは皆、サインが出ると、絶対に成功させなければいけないというプレッシャーを感じていました。しかし、橋上さんは「サインはミスを承知で出しているのだから、ミスを恐れるな」と言われたのです。監督と選手との間には、まだ開きがあることをそこで確認することができた僕は、翌日のミーティングで橋上さんの考えを伝え、そしてアプローチ不足のために自分たちの姿勢が監督には伝わっていないことを話しました。チームが成長を遂げ始めたのは、それ以降だったのです。

 チームを一つにした“We Ready”

 僕がキャプテンに就任したのは昨季のことでした。10年シーズンが終了し、翌年からは監督が替わるという中で4年目を迎える僕をキャプテンに任命してくれたのは、青木智史プレーイングコーチ(小田原高−広島−HAL−マリナーズ1A−SFBC−ウェルネス魚沼−SB−セガサミー)でした。実は僕自身にもキャプテンをやりたいなという気持ちが少なからずあったのです。というのも、3年間、なかなかリーグの頂点に立つことができず、「こういうふうにしたらいいんじゃないかな」という気持ちがあり、キャプテンとしてチームをいい方向にもっていきたいと思っていたからです。

 橋上さんの指導によって身に付いた「考える野球」で、新潟は昨季、初めてプレーオフで群馬を破り、リーグチャンピオンシップに進出しました。しかし、そこでレギュラーシーズンでは勝ち越していた石川に敗れてしまいました。球団創設5年で一度もリーグの頂点に立つことができないチームに対して、危機感を抱くと同時に、観客動員数が減少してきていることも気になっていた僕は、「来季こそは勝ちたい。いや、勝たなければいけない」と考えていました。
 
 ファンが一番に喜び、そして自分たちにとって最も意義のあることは「勝利」です。しかし、これまでの新潟は、せっかく連勝しても、その後に連敗をしてしまうなど、チームにも選手にも波がありました。これは野球に限ったことではありませんが、スポーツはメンタルの部分が非常に大きく影響します。そこで、たとえ不調でも、たとえ気分が乗っていない日でも、とにかくチーム全員が勝利に向かっていく気持ちになることが重要だと思いました。

 そこで考えたのが試合前に行なう「We Ready」です。これはラグビーニュージーランド代表の「ハカ」をマネしたものです。テレビでオールブラックスが「ハカ」をやっているのを見て、「これしかない!」と思ったのです。「ハカ」は自分たちの士気を上げるとともに、相手を威嚇し、脅威を抱かせます。そして、その迫力たっぷりのパフォーマンスに、観客が魅了される。それは僕が求めていた、そのものでした。

 とはいえ、チームのみんなが果たして賛同してくれるのか、少し不安もありました。ところが、意外にもみんなノリノリだったのです。嬉しかったのは、高津さんもこの案に賛成してくれたこと。「どうせやるなら、カッコいいのにしろよ!」と言ってくださったのです。そこでチームメイトと一緒に考えたのが次のフレーズです。

We Ready For Y’all
We Ready?
What? What?
We Ready For Y’all

アルビレックスは地域の子どもたちを育てることが使命である
全力フェアプレーで夢を与える
地域と子どもたちの規範となる

No.1 Yeahhhh!
○○○(相手チーム名) Woooooh
サポーター No.1! No.1!

Go! アルビレックス!
1!2!3! Who!

 これをホームの試合の始まる前にベンチ前で円陣を組み、全員でシャウトするのです。前の試合でミスをした選手も、不調が続いている選手も、疲れている選手も、全員が「We Ready」をシャウトすることによって、気持ちを一つにする。実際、試合の入り方にムラがなくなり、良くても悪くてもフラットな状態で毎試合、臨むことができました。

 ファンの支えあっての日本一

 後期、新潟は北陸地区の3チームに1つも落とすことなく、合わせて18連勝しました。でも、僕たちにとって連勝の数字などは関係ありませんでした。1試合1試合、いかに自分の力を精一杯出し切ることができるか、それだけを考えて戦ってきました。ですから、実は北陸地区のチームに全18連勝したことに気付いたのは、レギュラーシーズンが終わってからでした。僕たちにとっては「あ、そうだったんだ」というくらいのものだったのです。

 そんなふうにしてチームがひとつにまとまり、成長しながら勝ち星を積み重ね、前後期ともに優勝することができました。しかし、僕たちは最もやってはいけないことを犯してしまったのです。信濃グランセローズとの地区チャンピオンシップ初戦、僕たちは6−4で勝利し、2年連続でのリーグチャンピオンシップ進出を決めました。

 その試合後の胴上げで、誤って大橋嗣トレーナーにケガをさせてしまったのです。もちろん、決して故意にしたことではありません。しかし、やはり僕たちにはどこかに心の隙があり、慢心していたところがあったのでしょう。キャプテンとして、そのことに気づくことができなかった自分自身を本当に情けなく、ショックでした。

 福井ミラクルエレファンツとのリーグチャンピオンシップまでの1週間は、本当に生きた心地がしませんでした。大橋トレーナーにはもちろんのこと、夢を与えなければいけない子どもたちの前で、絶対にやってはいけないことをやってしまったことに、ただただ申し訳なく、反省する日々でした。どんなに反省をしても、起こしてしまったことはもう消すことはできません。そこで話し合いの結果、改めて自分たちの言動を見直し、しっかりと取り組んでいく姿を見せていくことを決心しました。

 とはいえ、果たしてファンの人たちは自分たちの試合を観に来てくれるのか、不安はありました。しかし、ありがたいことに球場にはたくさんの人たちが駆けつけてくれました。もちろん、スタンドから厳しいお叱りの言葉もいただきました。それは当然のことでしたし、それよりも球場に足を運んでくれことに感謝したいと思いました。

 結果的に、僕たちは3連勝で初優勝することができました。そして、香川オリーブガイナーズとの独立リーグチャンピオンシップでも無傷の3連勝で日本一を達成しました。これもひとえに、大きな応援があったからこそ。僕たちはサポーターの皆さんに助けられて、頂点に立つことができたのです。改めて、感謝したいと思います。

 高津さんが監督を退任し、そして球団創設以来、球団社員として、選手として、投手コーチとしてチームを支えてくれた中山大さんが富山サンダーバーズへと移籍しました。来シーズンは内藤尚行新監督の下、新潟は新たなスタートを切ります。とはいえ、野球をやるのは選手自身であることに変わりはありません。その選手は主力がほとんど残っていますから、戦力的にも十分。これまで以上にマークが厳しくなると思いますが、実力を発揮さえしてくれれば、きっと連覇を達成してくれることでしょう。

 僕は今季限りで引退することを決めていました。ですから、この1年間、自分がこれまでに経験したこと、学んだこと、その全てをチームに伝えようと思ってやってきました。どれだけのことを伝えられたのかはわかりませんが、選手たちはきっと何が大事で、何をしなければいけないのか、わかってくれているはずです。そのことを信じ、これからは外から応援していきたいと思っています。ファンの皆さん、これからも選手たちに温かいご声援、どうぞよろしくお願いいたします!

清野友二(せいの・ゆうじ)
1985年8月19日、新潟県生まれ。山梨学院大付高、松本大を経て、2007年新潟アルビレックスBCに入団。3年目の09年には打率3割2厘、8本塁打、39打点をマーク。11年からは主将としてチームを牽引し、今季はリーグ初優勝、独立リーグ日本一を達成した。今季限りで現役を引退。
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