日本では『キッカー』の名前で知られるドイツのスポーツ紙『キッカー・シュポルトマガツィーン』の本社は、ニュルンベルクにある。首都ベルリンでも、南部の大都市ミュンヘンでも、経済の大動脈フランクフルトでもなく、南部の地方都市にすぎない(オペラ好きには怒られるかもしれないが)ニュルンベルクにある。日本でいうならば、全国展開をしている大新聞の本社が、東京から遠く離れた地方都市に居を構えるようなものである。
 だが、1920年代に創刊された『キッカー』には、本社がニュルンベルクでなければならない理由があった。当時のドイツ・サッカーにおいて、最強にして最大の人気を誇ったのが、いまは清武も所属する1FCニュルンベルクだったからである。

 物流も、交通の流れも現在とは比較にならないほど細く遅かった時代、『キッカー』は人気チームに少しでも近いところに拠点を作らなければならなかった。戦争が終わり、ブンデスリーガが誕生し、ニュルンベルクはどんどんと輝きを失っていったが、しかし、『キッカー』は動かなかった。時代が、地方都市に本拠地を構えていてもハンデとならない環境を生み出したからである。21世紀になったいまも、ニュルンベルクのバド通り4の6に『キッカー』の本社はある。

 さて、もし『キッカー』創立のメンバーたちがJリーグを見たら、本社をどこに構えるだろうか。最も強く、最も人気のあるチームのそばにいなければならないとなったら。

 人気面を重視するならば、最大の有力候補となるのは浦和だろう。だが、明らかな改善傾向にあるとはいえ、実力の面ではまだまだおぼつかないところがある。いわゆるジャイアント・チームの不在による混沌(こんとん)は、いまや多くの人がJの問題点として指摘するまでになった。

 だが、考えようによってはこれはチャンスでもある。いまのドイツで、スペインで、バイエルンを、バルセロナを凌駕(りょうが)しようとするのはほとんど不可能に近い。半世紀以上、あるいは1世紀近くもジャイアント・チームとして君臨してきた歴史は、新参者に手が出せる代物ではない。

 日本は、違う。

 現時点における“巨人”の不在は、つまり、地方のどんなクラブにでもその地位をつかみ取る可能性があることを意味する。もちろん、簡単なことではないが、それでも、欧州で同じ挑戦をするよりもはるかに現実味を帯びた挑戦であることも間違いない。

 問題は、その意志を持つクラブが出現するかどうか、である。

<この原稿は12年12月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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