厚生労働省および文部科学省による2012年度の大学等卒業予定者の就職内定率は、10月1日現在、63.1%となっています。前年度の59.9%から3ポイント改善したとはいえ、厳しい状況であることには変わりありません。生活保護の受給者も増加の一途を辿っていると言われており、雇用の安定が急務とされています。そんな中、来年4月1日からは障害者の法定雇用率が引き上げられます。これまで「従業員56人以上の事業主は全体の1.8%以上の障害者を雇用する」義務がありました。これが「50人以上の事業主は全体の2.0%以上の障害者を雇用する」とかわるのです。そこで今回は、障害者アスリートの雇用について、具体的なエピソードを交えながら述べてまいります。
(写真:会社からのバックアップにより、ロンドンパラリンピック出場をかなえた眞田選手)
 このコーナーで何度かお話をしているように、私が目指しているのはユニバーサル社会です。年齢や性別・国や地域、そして障害の有無などにかかわらず、皆が幸せに暮らすことのできる社会の実現を目指しています。その中には雇用も含まれています。しかし、障害のある人たちの就業は、残念ながら日本国内ではそう簡単ではありません。だからこそ、国が「障害者雇用率制度」を定め、障害者の雇用を各企業に義務付けしているのです。自主的に障害者を受け入れる社会であれば、このような法律は定める必要はありません。

 では、なぜ企業は障害をもつ人たちの雇用に消極的なのでしょうか。その答えは明らかです。障害をもっていることによって、「できない業務がある」「作業が遅い」などというマイナスイメージばかりが浮上するからです。しかし、実際にはマイナスのことばかりではありませんん。むしろ逆のこともあるのです。今回はそのことをお伝えします。

 新スポンサーの発見

 11月30日〜12月2日の3日間に渡って、「第22回NEC全日本選抜車いすテニス選手権大会」が千葉県・柏市の吉田記念テニス研修センターで開催されました。毎年、インターネット中継「モバチュウ」では、同大会の男子シングルス決勝の模様をライブで配信しています。

 決勝前日、中継の準備のために会場を訪れた私は、昨年までにはなかったものを発見しました。コートの脇にはNECをはじめ、協賛企業の横断幕が貼られているのですが、そこに「株式会社埼玉トヨペット」という横断幕があったのです。私は一瞬、「えっ!? 千葉ではなく埼玉?」と目を疑いました。というのも、会場である吉田記念テニス研修センターは千葉県柏市にあり、地元からのバックアップに支えられていると聞いていました。ですから千葉県内の企業であれば、新しく目にしても、それほどの驚きはなかったでしょう。

 しかし、その大会の会場に「埼玉」というのは、やはり目立っていました。聞けば、眞田卓選手の所属先だというのです。そして、その日の夜に行なわれたレセプションには、眞田選手の応援に駆け付けた同僚の方が見えていました。
「私たち、眞田を応援しているんです!」
 笑顔でそう答える同僚の方の顔からは、眞田選手への愛情があふれていました。
「これが、眞田選手が言っていた『会社の人たちに支えられている』ということなんだ」
 そう思わずにはいられませんでした。しかし、最初から全てがうまくいっていたわけではなかったようです。

 現場からスタートした支援の輪

 眞田選手は、入社当時、特にパラリンピックを目指していたわけではありませんでした。一般社員として入社し、フルタイムで業務を行なっていましたので、好きな車いすテニスは、終業後の数時間や土日に限られていたのです。ところが、徐々に成績が上がり、日本のトップクラスに食い込み始めた眞田選手は、パラリンピックへの思いが強くなっていきました。そこで、直属の上司に相談しましたが、最初はなかなか相手にされなかったそうです。

 それでも諦めずに競技を続ける眞田選手に対し、徐々に上司や同僚が目を向け始め、彼が出場する試合に観戦に来るようになったのです。車いすテニスという競技への理解、そして眞田選手の努力が認められたのでしょう。ある日、上司の方が「オマエ、それだけ頑張っているのなら、オレが社長に時間をつくってもらうように話をつけるから、ちゃんとしたプレゼンをしてみたらどうだ」と言ってくれたのです。しかし、世の中そう甘くはありません。最初のプレゼンでは、眞田選手への気持ちは社長には伝わりませんでした。

 ところが、上司や同僚たちが「それならば」と、できる限り練習時間を捻出できるようにと、勤務時間のシフトを考えてくれたのだそうです。会社からの支援ではないものの、現場サイドからのバックアップによって、少しずつ環境が変えられていったのです。眞田選手はそんな周囲の心遣いに感謝の気持ちを抱くと同時に、ロンドンパラリンピック出場にかける気持ちを強くしたと言います。

 さらにしばらく経った後、もう一度、社長へのプレゼンの機会が訪れました。そこで、「パラリンピックを目指して頑張ってみなさい」という言葉をいただいたのです。それからすぐに、パラリンピックに向けてのバックアップ体制がしかれました。その甲斐あって、眞田選手は見事、ロンドンパラリンピックの出場権を獲得。初出場ながらシングルスベスト16、ダブルスベスト8の成績を収めました。そして、今回の全日本選抜大会のスポンサーにまでなっていることひとつとっても、眞田選手への協力体制がさらに続いているということは、一目瞭然です。

 では、なぜ埼玉トヨペットは会社をあげて眞田選手の支援をするのでしょうか。一見、眞田選手がパラリンピックに行こうが行くまいが、会社にとってはほとんど利益はないように思えます。しかし、実際はやはり会社にとってプラスとなったからこそ、今後も継続して支援することが決定されたのではないでしょうか。例えば、現場の上司や同僚たちが協力をするというのは、人間関係が良好で、みんなで盛り上げようという雰囲気がなければ、とてもできることではありません。眞田選手の存在が、その空気をつくりあげるきっかけの一因となった可能性は小さくないはずです。

 そして、自分の会社が一人のアスリートを支援しているということに、誇りに感じている社員も少なくないことでしょう。だからこそ、試合の応援に駆けつけたり、空港まで見送りに来たりするのです。そして、雇用されたその時は「障害者雇用」であったかもしれませんが、現在は障害者の有無、という感覚ではなく、眞田選手をアスリートとして応援しているのです。
「私たち、眞田を応援しているんです」
 私にそう語ってくれた同僚の方の素敵な笑顔をひと目見ただけで、そのことが伝わってきます。さらに今回、大会スポンサーになっていることに私は注目しました。企業が、一人の選手をサポートすることを通じて、大会、または競技へと、支援を広げているということです。

 もちろん、うまくいくケースばかりではないことも確かです。しかし、それは障害の有無にかかわらずではないでしょうか。障害があるというだけで、マイナスのイメージだけを持たず、一人の社員としての可能性を見出してほしい。そういう意識の高まりが、障害者への雇用促進につながると信じています。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。