バルセロナを退団し、ニューヨークで家族とともに休養中だったグアルディオラが、監督業に復帰する意思を明らかにしたという。
 今後の具体的な行き先については、マンチェスターの2チーム、チェルシー、ブラジル代表などが候補としてあげられていたが、ブラジル代表についてだけは、本人が否定的な考えを明らかにしたとされる。
 何にせよ、バルセロナ時代の4年間で14個ものタイトルを獲得した、歴史上最高とも評されつつある指揮官の今後には、大きな注目が集まることになるだろう。

 バルセロナの監督に就任した直後のグアルディオラは、言ってみれば師匠クライフの忠実なコピーのようなものだった。彼自身がクライフの指導のもとで育ち、起用する選手たちもクライフ・イズムの薫陶を受けたカンテラ出身の選手だったのだから無理もない。決して簡単なことでなかったのはもちろんだが、しかし、彼がなし遂げたことの大半は、クライフがいなければなしえなかった、そしてクライフならば同じようになし遂げられたはずのものだった。

 そのことを一番よく理解していたのは、ほかならぬグアルディアラ本人だったに違いない。

 バルセロナに属し、バルセロナを率いている限り、どれほどの栄冠を勝ち得ようが、いや、勝ち得るほどに、彼は、周囲は、ある疑問に苛(さいな)まれるようになる。

 グアルディオラだから勝てたのか。それとも、バルセロナだから勝てたのか――。

 日本には「守破離」という言葉がある。まずは師匠の教え、型を「守」ることから始まり、次に自分にあったよりよい型を作るために既存の型を「破」り、最終的には型そのものからも「離」れて自由になる、という武道や茶道などの言葉である。

 バルセロナ時代のペップは、言ってみれば「守」と「破」の中間点に位置する指導者だった。だが、更迭されてクラブを去ったクライフと違い、彼は自ら辞任という形でバルセロナに別れを告げた。この時点で、彼は師匠とは違う型を造り上げたことになる。

 そして、これからは「離」の段階。バルセロナを去ったクライフは、結局、二度と監督の現場に戻らなかった。これからのグアルディオラが歩むのは、クライフでさえ歩んだことのなかった道である。

 現役時代、当時のスペイン人選手としては極めて異例のイタリアやメキシコでの経験を積んだ男は、どこを新天地に選ぶのか。おそらく、彼にとっての優先順位の1位は金額ではあるまい。どれだけ挑戦心を刺激してくれるか。この一点につきるのではないかと思う。

<この原稿は13年1月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから